貞慶(解脱上人 / げだつしょうにん)

今から800年位前の僧侶で貞慶(じょうけい)、別名解脱上人がおられました。貞慶は節分の日に海住山寺で五十八才で亡くなられました。

貞慶は三十八才で笠置寺に隠遁(いんとん)されていました。当時の僧侶は結婚ご法度なので、呉竹(くれたけ)と言う少年を可愛がって居られました。

ある夜、呉竹が居なくなり、皆で八方尽して探した所、山城の農家に隠れていました。見つけ出された時、呉竹は小麦粉で作ったお餅を一生懸命食べていて、貞慶が声を掛けても、びっくりしたのですが、お餅はずっと食べ続けていたのです。当時は食が貧しかったので、お寺でもお腹一杯食べる事が出来なかったのですが、貞慶は自分が食べる物を食べなくても、呉竹に食べさせていたので、一生懸命食べ続けている呉竹の姿を見て『ああ、我が愛は小麦餅にも及ばぬのか』と嘆き、その後男色を一切辞められたそうです。

当時は京都方面で浄土宗の法然上人の意向を受け継いで、親鸞上人が「南無阿弥陀仏」を唱えさせる念仏信仰を説いていました。貞慶は『南無阿弥陀仏を唱えたら罪や汚れが取れて、必ず極楽浄土へ行けると言うのはおかしい。それだったら何をしても良いと言う事になるだろう。真の御仏様の御慈悲はそんな簡単なものではない』と言って反対されたのです。

すると法然上人や親鸞上人は嘘を説かれた事になります。法然上人は『初の言い方はそうではない。物心付いた時から阿弥陀様に帰依して居れば、必ずや良い所へ参れるであろう。死ぬ前に南無阿弥陀仏を唱えるだけでは良い所へは行けないが、戦乱の世の中の貧しい人々に、希望と心に安心感を植え付けたかった』と説かれました。最初に法然上人から直接説いて頂いた僧侶達が、一人でも多くの信者を作ろうとして安易に解釈して伝えてしまったのが始まりです。
合掌