観音菩薩様

 西国33番札所や秩父34番、坂東33番札所では観音菩薩様がご本尊です。信仰する上で一番人気が高い仏様が観音菩薩様かもしれません。観音様の『観』は観光の観ですが、観ると言う意味です。ただ何気なく見るのではなく、心から真実を読み取る意味があります。

 観音の『音』は私達の苦しみや悩みの声や、助けを求める声の事です。観音菩薩様の別名は観自在菩薩と言われています。この名の如く何時でも何処でも、自由自在に私達を救って下さるのです。観音経に説かれている意味は簡単に言いますと「一心に観音様の名を称えると、即時にその声を聞き取り、私達の苦しみや悩み、七難を取り除いて頂ける。」と書かれてあります。『七難即滅』の七難とは火、水、風、悪魔、悪王、刃物、盗難の七つの災難です。苦しむ人々に対し、最も相応しいお姿に変化してお救い下さいます。

 その姿は33身と言われています。ある時は僧侶、ある時は子供の姿に、友人や知人その他様々なお姿となり私達を救って下さると伝えられています。
 ある子供さんが急に家庭でも学校でも話をしなくなり、学校へ行かなくなり半年が過ぎました。病院では軽い自閉症だと診断されました。家族の者達も困り果てていましたが、どうする事も出来ず日々が過ぎて行きました。ところがある日、家族で町に買い物に出掛けた時、盲目の少女と出会いました。その少女は白い杖をつき、壁などを手で触れながら、ゆっくりとすれ違ったのです。同じくらいの年齢のその危なかしい少女を、少年は何度も振り返りながら見ていたそうです。家に帰ったその少年は突然、ご両親に向かって「お父さん、お母さんごめんなさい。今日すれ違った、あの目の見えない女の子の歩く姿を見て、僕にはちゃんと口があるのに喋らないなんて罰が当ると思った。本当にごめんなさい」と泣いて謝り、日増しに元気に話す様になったのです。お父さんはあの少女はきっと観音様の化身に違いない。私達の苦しみを観て救って下さったのだと思います、と話されました。
 この様にある時は大嫌いな知人の姿で苦言を呈し、妻や夫や子供の姿で私達をお試しになるかも知れません。又観音様は蓮の花を持っておられますが、何を表しているのかと申しますと、蓮は泥の中で育っても、その花は泥に染まる事無く、汚い泥も栄養に変えて美しい花を咲かせています。これを「汚泥不染」(おでいふぜん)といいます。そのように人間も煩悩や欲の充満した環境に住んでいても、それに染まる事なく、欲をエネルギーに変えて立派な人間になる事を望んでおられるのです。観音様が信仰で人気を集めておられるのは、その姿が母性的で慈悲深い表情をなさっておられるからでしょう。
 しかし忘れてはならない大事な事は、あくまでも日々の信仰の深さを観られて救済されるということです。日頃手も合わさず、信仰もせずに勝手な時だけ救いを求めても、いくら慈悲深い観音様でも、救いの手を差し伸べる時期は考えておられます。日頃の正しい信仰の積み重ねや努力が大切です。何事も甘えは禁物です。

合掌