花まつり

 4月8日はお釈迦様のお誕生日で、生誕記念が花祭りと言われる行事です。花見と言えばほとんどの方は桜の花をイメージします。本山の醍醐寺でも毎年第2日曜日は大閤の花見行列が行われます。豊臣秀吉公も愛(め)でたと言われる桜ですが、数ある花で花見と言えば何故桜なのでしょうか?最初は農業の人達が豊作を祈る為に、桜の木の下で飲食をすると、山の神が里に降りて来られると考えられていました。宮中では嵯峨天皇が812年に桜を眺めながら、短歌の出来栄えを競ったのが始まりだそうです。昔は梅見の方が風情があるとされていましたが、季節的に寒く次第に春の暖かさが適している桜になったのです。

 江戸時代田舎から出稼ぎに来た人達の仕事がなかったので八代将軍吉宗が隅田川沿いに桜を植えさせて町人達に飲食をさせたのです。桜の種類は400種以上で、普通は60年位で枯れますが、一番長い樹齢は2千年、一番多いのはソメイヨシノで、東京の染井地区に住んでいた職人が、大島桜と江戸彼岸を交配させて作ったそうです。多く植えられた奈良の吉野と染井から名付けられました。

 以前にもお話し致しましたが、お釈迦様の生誕の日を迎える度に思い出すのは昭和61年10月5日に生誕の地、インド、ルンビニへ行った時、本当に静かな落ち着いたお声でお話しをして下さった事です。その声は今でも耳の奥に残っています。その時の驚きと有難みと感動で同行された方達には、お言葉を頂いて直ぐお話しを致しました。何度聞いても大切な言葉なのでもう一度読ませて頂きます。

 「風が風である様に、水が水である様に、草木がそうである様に、人は人たりたい。人間の世で事業を起こすならば、まず己を造れ、己を修めよ。それが人の世で一番難しく尊い事業である。また他人の為に事業を起こすならば、人間を造る事業を起こすが良い。青空を造るは人の心であり、曇り空を造るも、また人の心である。幸福を呼ぶも、不幸を招くも、すべて源となるは人の心である。人は人として輪廻するが良い。しかし人として輪廻すると思うのは間違いである。いつの世にも人として生を受け得
る様に心するが良い。私が天地を指し示する意は、天も地も我と一体であり、世界が一つとなる事を願う意も含まれている。日々心して己を修めるが良い。それはやがて自分を幸福に導き、世界の平和につながるであろう。どうかこの地を忘れないで頂きたい。」

 このお話しの中で、人は人として輪廻せよ。しかし人として輪廻すると思うのは間違いである。人間だからと言って、必ず来世も人として生まれ変わるのが当たり前だと思ったら間違いですよ。それは現世の行いに寄る、と通告されているのです。来世も人間として生まれ変われる様に努力しましょう。 合掌