節分の起源

 早いものでこの間新年を迎えたと思ったら、もう暦の上では春が来ました。皆様節分には豆まきをされましたか?子供さんがおられる家はきっちりと行事をされるかもしれませんが、大人ばかりの家ではだんだんと省略されて行きます。「鬼は外」と言いながら大豆を全部、口の中に入れていると言われた方もおられますが、毎年言います様に自分の心の中に鬼が住んでいますから、それが一番正しいのかもしれませんね。

 何時ごろから節分に大豆をまき始めたのでしょうか?もともとは宮中の年越しの行事でした。秋から冬に入ると日照時間も短くなり陽射しも弱まります。草木も枯れて動物も冬眠し虫も居なくなります。私達人間も何だか淋しく感じ、活動も鈍る季節になります。古くからこの時期は魂の力も衰える、と考えられて来ました。そこで大晦日には一年間の罪や穢れを流し、身を清め厄祓いをして、生命の力をよみがえらせ、新年を迎える行事として「追儺(ついな)」が行われました。節分は文字通り季節を分ける日の事で本来は二十四節気ありますが、いつの間にか立春の前日だけが節分と呼ばれる様になったのです。御神仏は特にこの二月の節分を大事にされ、物事を決める時、正月ではなく節分をめどにされる事が多いのです。昔は大晦日と節分と年二回「追儺」の行事が行われていましたが、いつ頃からか一本化されて二月の節分が残されました。元は三千年前、中国の周時代に「儺(だ)」と呼ばれた疫病を祓う儀式でしたが、唐の時代に日本に伝わりました。文武天皇の慶雲三年(706)大勢の人々が疫病で亡くなったので十二月に行われた事が「続日本紀」の歴史書に出ています。これ以後、毎年大晦日に行われ、平安時代に節分の行事になりました。源氏物語にも登場します。昔は「儺遣らう(なやらう)」と大声を出し鬼を祓っていたそうです。

 大豆をまく様になったのは平安の中期、宇多天皇の時代に鞍馬山に住むと言われた鬼が都に乱入しようとしたので、三石三斗の大豆を撒いて災難を逃れたのが始めだそうです。大豆は中国の最古の医学書「本草(ほんぞう)」に鬼毒を殺し痛みを止めると書かれてあり、大豆は生命力が強く霊力があるとされていました。日本では「打撒(うちまき)」と言ってお米を撒いていましたが大豆に変わりました。

 豆の撒き方は一応決まりがあるそうです。まず玄関で「鬼は外、福は内」と三度大声を上げて玄関を閉めて、主の部屋から各部屋に撒き台所を最後に撒くそうです。節分にはこの様な言い伝えが色々ありますが、節分をきっかけに私達の心の中には鬼と仏が同居している事を自覚して、今年も鬼の誘惑に負けない心を維持して暮らす事が大切です。 合掌