私達は善人ですか?

 今年も無事に春季大祭を迎える事が出来ました事を心から感謝致します。春の大祭では二つの行事を行います。午前中は鳴動式(めいどうしき)で御神仏に感謝と祈願を午後からは施食(せじき)供養を行います。御先祖様にはもちろんの事、昨年の大震災で亡くなられた方々の為に少しでも食が施せたらと心から願っております。
 3月1日のゴマでお不動様から次の様なお話を頂きました。『あの世からこの世に人間を送り出す割合は、大体3分の1ずつ善人、悪人と極悪人を送り出す。

さて、そち達はどの部類に入るのであろうか?』とおっしゃいました。もちろん極悪人ではないと自分では信じています。それなら善人ですか?と御神仏に問い掛けられると胸を張って堂々と「はい」と答えられるでしょうか?御神仏がおっしゃる善人とは私達が考える一般的な良い人とは違います。自分は差しおいて、まず他人の幸せになる為に行動する。しかも、してやっていると言うおこがましい態度でなく、日々自然にその様な言動がとれる人です。私達は自分自身で多少の裏表があることを知っていますし、嘘も方便だと言いながら嘘もつきます。他人に見えなくても自分の悪い所は自分が一番知っています。そうすると自ずとこの世に生を受けた人々で、自分は普通だと思っている人のほとんどは悪人の部類に入るのです。良く考えてみると、あの人は悪い人だと他人の噂をしますが、私達も多くは悪人なのだと認識せざるを得ないと思います。更にお不動様は『あの世に帰る時期を考えると、もはや他人を中傷したり、ねたんだりする時間は残されていない。自分自身をしっかりと見つめよ』とおっしゃったのです。

 このお言葉はお釈迦様の説法につながります。お釈迦様が最期に説かれたのは『自らを拠り所とせよ。法を島とし法を拠り所とせよ、決して他を拠り所にするなかれ。』全ての悪因縁は自分が原因である。他を見る事無く、仏法をしっかりと信じ、法を自分の教師として心を磨くことが大事である。自分で自身を崇め拝める対象になる位、自分自身の魂を磨けと説かれています。人々は自分に都合が悪い事が起きると、すぐ他人のせいにしますが、幸せも不幸せも全て自分自身の言動が基となっているのです。私達の多くは悪人です。勿論悪の段階はそれぞれ違いがあります。自分が善人だと思っていると、反省も努力も生れません。そこに大きな間違いがあるのです。人生の時間を考えると他人を中傷したり、羨ましがったりしている時間のゆとりはないでしょう。しっかりと自分自身を見つめ直し、悪人から少しでも脱出出来る魂になれる様に有効的な時間の使い方をしなければなりません。悪人仲間として皆で落ちこぼれがない様に頑張りましょう。皆で一緒に仏に近づく努力をする。これが聖法院で基本としている大乗仏教です。これからもお釈迦様の教えに基づき導く聖法院にしっかりとついて来て下さい。  合掌