機械化される人間

 聖法院には数本の桜があり今年も綺麗に咲いていました。毎年、桜が散りかけた頃に高山へ行くのですが、高山では電車が着く頃に臥龍桜が美しく咲き誇っています。桜の咲いている期間はとても短くて直ぐに散ってしまいますが、それを見る度に「生きとし生ける物は消滅していくのだ。」とつくづく感じます。その時『命は限りがあるからいいのではないか。』という御神仏のお言葉を思い出します。

 「滅びの美学」と言う本の中で動物も人間も全ての生物は命に限りがあるから良いのであって、もし限りが無くて永遠に命が続くのであれば、今の様に人類は発展していなかっただろうと、書かれていました。ずっと生きられるのであれば、大学受験も何十年でも合格するまで受ければ良いのだから、頑張る事が出来ずにだらだらと、だらしない生活が続くかもしれません。今、医学の発達により寿命が延びていますが、果たしてそれが人間にとって幸せかどうかは分かりません。

 御神仏は、『人間の精神的な退化が進んでいる。肉体的な寿命が延びているだけで、神から見るとそれは人間ではない。』とおっしゃっていました。動物は人間よりも五感が優れていますが、逆に人間が他の動物よりも優れているところは、目に見えない物(あの世の世界や御神仏)を肌で感じられることです。また、人の話を信じ、敬いの心を持って、それを自分の生活に活かせるところです。『他の動物と違う唯一の能力を、今の人々は発揮せずに、ただ生きている。』と御神仏はおしゃいました。では、精神的な退化を防ぐにはどうすれば良いのでしょうか?目に見える物だけを信じないことです。信仰心のない人がよく口にするのは、「神様は自分の心の中にあるのではないのですか?だから自分で自分を拝んでいれば良いのでしょ?」とおっしゃいます。それはある意味違います。人間の「心」の中に御神仏が存在しているということは、絶対にありません。人間の持っている「魂」の中に「仏心」があります。「仏心」の存在が他の動物とは違うところです。その仏心を活かさなければ他の動物と同じレベルになります。仏心を活かさずに、好きな事ばかりをしている人が子供を育てると、命の尊さや美しい物を見た時の感動や、人に優しくしてあげる心を子供に伝える事が出来なくなります。「御神仏がちゃんと見ておられるよ。御先祖様がおられたから、あなたがいるのよ。」などと教えないで、目に見える物質のことだけを教えるので、機械化された人間になるのです。そんな大人たちが増えると、殺人を犯しても何とも思わない子供が増え、他人だけでなく自分も攻撃し、結果として自殺へと繋がる。世界的に見ても日本に自殺が多いのも悲しいことです。

 『どんな事業よりも人間を育てるのが一番難しく、尊い事である。』とお釈迦様が説かれました。皆さんはご神仏に色々な願い事をしますが、御神仏から皆さんへの願いは、精神的に退化していく人間を正しい道に戻してあげることです。皆さんは聖法院の大祭や護摩等色々な行事に参加される時、自分の大切な時間やお金を費やしていますが、それ以上の功徳を頂いています。皆さんも周りの方々に何が大切かを一人ずつに教えてあげて下さい。「言っても聞きません。」とおっしゃる方も多いですが、「何年か前に教えて頂いたことが今、やっと分かりました。悪い事をしてしまった。」と後になって理解する方もいらっしゃいます。種を蒔いても直ぐに開花しないかもしれませんが、何年か後には開花する様に、精神的に退化していく人をあなた方はじっと眺めていてはいけません。それはあなた方がこの世に生を受ける時に神様とした約束であり、大切なお役目です。私達もご神仏に願いを掛けられていることを忘れずに、無駄な時間を過ごさないようにして下さい。ご神仏や守護霊を裏切らない様に精神的に向上して頂きたいと思います。 合掌