新米の頃
実りの秋になり新米が取れると、年中神事である神嘗祭(かんなめさい、10月15日~17日)が行われます。天照大神を初め八百万の神々に今年のお米の収穫を御報告し、新米を天皇家の皇女の方が、神様にお給仕しお召し上がりになる。
伊勢神宮の御神事の新嘗祭(にいなめさい)は11月23日勤労感謝の日、宮中において神々に感謝し、天皇様御自身がお給仕をなさって新米を初めてお召し上がりになる共食の儀、神嘗祭と新嘗祭が1ヶ月以上過ぎて行われるのは日本が南北に細長い国で日本国民全てが、新米を頂ける時期を天皇様にお待ち頂いているのです。新米を戴くのに色々な事を認識しながら食べると、一粒の米もありがたく感謝しながら頂けるのではないでしょうか。
しかし残念な事に日本人だけが食事前の祈りがありません。昔はお米屋さんも11月23日の新嘗祭が終ってから新米を店先に並べたのです。米は八十八と書くが八十八人の手を経てようやく一粒の米が出来るからです。「鶴亀の命欲しくばつるつるのむな、噛めよ噛め噛め88回」良く噛んで食べないと鶴亀の様に長生きしませんよ。お米一粒でも御神仏の恩恵や天地全てのお恵みを戴いているのに、ヨーロッパを初め各国の人々が日本人を見た時、人々はまず神仏の中に生かされていると感じるのが本来なのに、日本人は商売、健康、その他祈願の為に勝手な時だけ神仏に手を合わす。七五三のお宮参りは神社に、結婚はキリスト教会に、死んだらお寺にと、一貫性のなさは人間としての信頼がなくなります。
仕事は自分の力だけで出来るものではなく、自分の為にだけやる訳でもありません。日々の生活が平和と繁栄に慣れるとそれが気持のおごりとなり、日頃の言動におごり昂ぶりが表れ、感謝の心を忘れると、その結果不満につながります。
信仰はどんなに信仰しても「こんなにしているのに」と感じた時は信仰心が薄れて来ている証拠です。それをバロメーターとして気をつけなければなりません。「こんなに~した」と言う言葉は既におごりや昂ぶりがあり、今の生活はすべて自分自身の力であると勘違いします。しかしその逆に上手く行かなければ、それは社会が悪い、他人が悪いと自分の悪い点、反省点は何処にも出て来ません。そんな行動が基礎となり、やがて自分の生活となって顕れます。良い結果も悪い結果も、すべて自分の考えや行動が基本となる事をしっかり自覚することが大事です。
合掌