往生(おうじょう)について
「往生」という言葉を辞書で引きますと、「この世を去り、極楽浄土に生まれること」「死ぬこと」という意味のほか、「諦めて静かにすること」「どうにもしようがなくなること」「閉口すること」など、いくつもの意味があります。「大雨で往生した」「往生際が悪い」といった言葉も、私たちが日頃耳にするものです。
しかし、ご神仏がおっしゃる「往生」とは、単にこの世での命を終えることだけではありません。ご神仏は、往生には大きく分けて三つの段階があり、人が亡くなった時に初めて往生が始まるのではなく、この世に生を受けた時から、すでに往生への歩みは始まっているのだとお示しになります。
人間がこの世に生を受けた時が、第一段階の往生の始まりです。そして成長し、自ら歩き、言葉を話すようになると第二段階へ入り、そこから命を終えるまでを「小往生」とします。その日々の積み重ねを経て、人生を全うした時に「大往生」へと至る。それが本来の人間の姿であり、ご神仏が私たちに望まれている生き方であると説かれています。
ですから、大往生とは、ただ苦しまずに亡くなることではなく、この世を去れば誰もが大往生するというものでもありません。何事も一足飛びに成就するものではないように、往生もまた日々の積み重ねです。ご神仏に手を合わせ、ご先祖さまを供養し、人を思いやり、感謝し、善い行いを重ねて功徳を積む。その一つ一つの「小往生」が「大往生」へとつながっていくのです。
人には、生まれ育った環境も、財産も、能力も、それぞれ違いがあります。しかし、功徳を積み、より良く生きようとする道は、すべての人に等しく開かれています。これが、ご神仏がお示しになる平等の一つの姿ではないでしょうか。
私たちは、いつか必ずこの世での命を終えます。だからこそ、亡くなる時だけではなく、それまでをどのように生きるかが大切なのです。今日一日を大切にし、一つでも功徳を積む。その日々の小往生を重ねることが、やがて大往生へとつながっていくのです。合掌