宇治平等院への参詣

11月の鳴動式の後、62名の方々と宇治の平等院へお参りしました。平等院は藤原道長が源重信の別荘を買取った土地で、時の関白である息子の頼道が天喜元年(1053年)に阿弥陀堂として建立したものです。鳳凰堂と呼ばれる様になったのは平安時代以降です。世界遺産になり2年間掛けて約60年振りの修復を行いました。平等院は皆様がご存知のように10円玉の図柄になっており、日本国と刻印されている方が表になります。阿弥陀様は、その当時最も有名な仏師の定朝(じょうちょう)の作です。来迎図はあの世に帰る時のお迎えの様子を上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)に分けられ描いたものです。

しかし皆様はあの絵を見られて安心してはいけません。真のお迎えはあの様な素晴らしいものばかりではなく、あの来迎図の如く迎えられる人々は、ほんの一部の人達です。あの世からのお迎えは、もっともっと厳しいものですが、当時は阿弥陀信仰に人々を導く為に、阿弥陀様を拝むと人生の最期はこんなに素晴らしいお迎えが来ますよと、人々を安心させる為のものです。

私達は平等院の中の浄土院で非常に印象深い御住職のお話を伺いました。御住職とは別に私が強烈に印象に残ったのは、御住職のお話が終わった時、阿弥陀様が大きく首を横に振られて、クルっと私達に背を向けられてお帰りになった事です。私達は御住職からは阿弥陀様についてのお話を全く聞く事が出来ず非常に残念でした。しかし御住職のお話の合間に少し阿弥陀様からお言葉をお聞きする事が出来ました。それをここでお話致します。『悠久の時代を経て私は、人々の生き様を見ているが、このきらびやかな御堂が建立された当時も、現代も人々の心の流れは、さほどの移り変わりはない。我々仏から思うに、これは非常に不思議な事柄の一つである。何故ならばその当時より人々の暮らし振りは、かなり優雅な生活に変わっているからである。日々の暮らしが現代程豊かでない時代と比ぶれば、精神的なゆとりも時間のゆとりも、当時と比較するに値わない。それらを考慮すると人々の願い事のどれを採っても取るに足らないものばかりである。人間関係にしても嫁姑の問題から夫婦の問題、何一つ考え方が向上しているとも感じられない。昔の生活より数段上になった今、人々は豊かさと何を交換して来たのであろう。数千年の時を経た今も釈迦が説かれた人々に対する教えは全く同じ教えで充分である。いや考え様によると、太古の時代にさかのぼっていると言えよう。人々は魂の向上について如何様(いかよう)に考えているのであろうか?』このように阿弥陀様をはじめ、全てのご神仏は私達の魂の向上を心から望んで居られる事が分ります。ご神仏の御心に添える様に日々暮しましょう。合掌