和合は信仰の基本、幸せの根源

「水は法縁の器に従うが如し」と言います。水はどんな器にもすんなり入ります。しかし水が一度氷になると、固形になるので同じ形かそれ以上の大きさの器にしか入りません。私達人間の「我」も「氷」と似ています。氷が同じ形の器にしか入らない様に同じ性格の人としか仲良く出来ない人や自分のわがままをすべて受け止めてくれる心の広い人としか人間関係が上手くいかない人に似ています。人間関係ではどちらも氷の性格を持っていると、氷と氷がぶつかり合う様に上手く行きません。どちらかが水であればサラッと流れてくれます。もちろん双方が水であればもっとスムースに流れます。しかしどちらも氷であった場合、自分の我が強くてお互いが自己主張をしていると、それがぶつかり合い氷と氷がどちらも傷つきます。これが人間模様を表しています。ぶつかり合った時、必ず思うことは相手が悪くて自分は悪くない。相手の氷は見る事が出来ますが、自分が氷だと自覚はしていません。しかし自分が水ならば絶対にぶつかり合う事はなくサラッと流せます。ぶつかったら自分も氷だったのだと再認識するべきです。大切な事は自分が氷だった事に気付かせてくれた相手に感謝することです。それがお大師様がおっしゃる「私達人間も他の生き物も全て仏様ですよ」の意味です。表面の氷で本来の水が現れないだけなのです。

 御神仏の大慈悲を受ける事によって、その氷が溶けて水になれば元の仏心が表れます。元々は氷も水も同じものですが、ただ我欲の塊で変形しただけです。「信仰が必要なことは知っていますが、時間がありません」とよく聞きます。しかし努力をせずに前へは進めません。水の一滴はポツンポツンと同じ所へ落ちると、時には大きな力となり岩をも貫通します。自分達が批判しているあの人もこの人も皆仏様の心を持っていることにお互いに気付きあって表面だけではない和合を保ちましょう。

 信仰を同じくしている人達はもちろんの事、家族や会社での人間関係、全員が前世からのつながりがある大切な人達です。他人の話を聞いて間違いと分かっていてもその時争うのが面倒なので、つい同意してしまいますが、それも同罪でありその事が後々大問題に発展する事もあります。本当の勇気を持って意見を述べましょう。相手に注意を促す時でも出来れば数人に聞いてもらう方が良いでしょう。決して怒ってはいけません。御神仏には特に和合の上でしっかりと見守って頂いているのです。聖徳太子の十七条憲法にも「和を持って尊しとなす」が初条に書かれています。真の幸せは和合の上にのみ成り立つのです。小さな心のかげりもなくすために努力し、心底幸せな気持ちで過ごしましょう。 合掌