他力本願

 先日、初めてお参りに来られた方に神棚の話しをしたら、「私は浄土真宗なので、他力本願の教えを信じており、神棚はいらないし、特に信仰を持たなくても普通に暮らしていたら良いのではないですか。御先祖様の仏壇はあり、病気になった時や頼みごとがある時は拝みますが、普段は拝んだことはありません。それが他力本願ではないのですか?」と言われました。この様に考え違いをされている方が多いですが、私達はこの世に何をする為に生を受けたのかと考えた時に、何の努力もせずに他人や御神仏に「よろしくお願いします。思い通りの人生にして下さい」と願っても思い通りにいくはずがありません。他力本願とは、ご神仏に任せる前に、まず自分自身が一生懸命努力して、足りない部分や思う様に行かないことを感じ、この世では頑張っても自分一人ではどうしようもない時があることを自覚することです。その上で一生懸命努力して「南無阿弥陀仏」や「南無尊帝そわか」を唱え、努力した後に他力本願が始まるのです。ご神仏が見られて、「この者は努力しているし、前世の因縁もおおかた切れたな。ここからプラスにしてやろう」と思われた時に初めてお助け頂けます。ご神仏の大慈悲を頂きたいのであれば、自分自身に望みや期待を掛けて努力を怠らないこと。自分に期待を掛けられるかどうかを自分に問いかけた時に、今の自分には期待出来ない、望みを掛けられないと感じたら、自分に期待出来るレベルまで自分を向上させ、努力して期待出来る自己を造ることが先です。その結果、はじめて自分で納得のいく、あるいは納得に近い人生を送ることが出来ます。他力本願とは、全てをご神仏に任せ、自分が努力もせず願い事が叶うと言っているわけではありません。合掌