人生の落とし穴

 毎月1日(月曜以外)にゴマを修法しているなかで、15年ほど前のゴマ修法中に忘れられない場面がありました。それは大変美しい月が空に輝き、その月が海に映っている景色です。月の光が海面に映えて、とてもきれいでした。お不動様のお話しは「人々はその美しい光に惑わされる。上を見上げたら真実の月があるが、海面や湖面に映った月は、さらに神秘的で美しく見えるもの。その月に人間は惑わされやすい。真実は上にある」ここでの真実とは、御神仏が説かれる説法です。そして湖面や海面に映った月は、我々が会話をする様々な話です。同じような月に見えても、それは波がざわめき立つと散って形もなくなります。それは本物ではないからです。ところが多くの人々は色々な話に惑わされてしまいます。物事は本物を見極める事が大切です。一見同じように見えても全然本質とは違う、とお不動様が説かれました。しっかりと信仰して、ゆるぎない心を養う事によって心がぶれない。ぶれないと言う事は心がしっかりと安定している。その安定した心が幸せを呼び込んでくれるのです。

 しかし私達のライバルは他人ではなく自分自身の心です。何故なら心はどんなに満たされても次々と要求してきます。その心に打ち勝たなければ、絶対に精神的な幸せはやって来ません。多くの人々は願い事が叶った瞬間に感謝を忘れて次の願い事を口にします。まず感謝をするべきであり、感謝を忘れると次は助けて頂けません。この様に人間は次から次へと欲望が出て来ます。これを考えるとやはり一番の強敵は、他人ではなく自分の心である、という事を自覚するべきです。私が感じたのは信仰に慣れてくると必ず人生の落とし穴があります。その落とし穴の種類はそれぞれに違います。それは修行の形が一人一人違うからです。御神仏は信仰が深くなると、その人の本質を出させます。本質を出すことによって悪い所を自分で気づかせて直す修行に入るからです。一般社会では気づかなかった醜い心が表面に出て来ます。信仰の中では一般社会の様に地位の差別が無く皆平等だからです。会社では社長や部長などの役職があり、その他色々な人間的なしがらみもあり、多くは上司の命令に従いますが、信者さん同士は利害関係もなく平等なので、それぞれの人達が意見を持っています 。自分の思うまま感じたままの意見を出し合います。その結果他人から自分の欠点を容赦なく言われた時、そこから逃げ出したくなります。

 残念に思うのは信仰を辞める多くの原因は人間関係です。ちょっとした誤解で人間として一番大切な信仰から離れてしまう事です。そうなった時人々は自分の欠点を見直さず、他人が悪いから自分がこんな結果になった、と他人を責める事になります。これが高じると自分の周りが信じられなくなり、自分だけが正しくて、自分のまわり全てが悪魔に心を奪われたと考える様になります。これが精神的な危険のバロメーターです。これは他人が悪魔に心を奪われたのではなく、自分自身の心が正常ではないのです。これも人生の落とし穴です。しっかりと御神仏の説法を聞いて、落とし穴に落ちない為に、自分の心がぶれない様に気をつけましょう。 合掌