パラミータ

9月の鳴動式で六波羅蜜の一番目にお釈迦様が説かれている布施のお話をしましたが、布施の字は布を施すと書きます。山には高い山、低い山色々有ります。その山に大きな布を掛けた時、布が平均に張り付く事によって、全体の高低のバランスがとれて美しさを保ちます。布施というものは、どんな形でもそれ相応に功徳を頂けるという意味です。自分は何にも悪い事をしていないから極楽浄土に行ける、と思っている人も多いと思いますが、実は悪い事はしていないかもしれませんが、良い事もしていない人は極楽浄土へは行けません。お釈迦様が説かれた六波羅蜜の教えを実践しない限り、あの世に行って極楽浄土、つまり阿弥陀様やお釈迦様、大日如来様の所へは行けません。人生の最低3分の2は普通の生活でも、残りの3分の1は教えを実行してこそ極楽浄土に行けるのです。女性の場合平均寿命87才の時代です。3分の2を過ぎると58歳です。今迄自分がどのような生活をして来たかを振り返ってみて、お釈迦様が説かれた事を実践しながら人生を送って来たと思う方は、そのままの生活を続けながら、人生を送れば彼岸に渡る事が出来るでしょう。しかし今迄は好き勝手な事をし、信仰もしていないし、他人の為にも貢献していない、と自分で思う方は今からでも決して遅くありません。色々な面で一生懸命努力して下さい。しかし若いからと言って安心してはいけません。人間の寿命は御神仏しか分かりませんので、若いから自由勝手に生きていても大丈夫と思うのは間違いです。私は女の大厄33才でこの道に入りました。何故もう少し早くから信仰しなかったのか?と嘆きます。この道は早すぎる事は全くありません。

 

毎日飽きる事無く積み重ねていかないと、慌てる事になりかねません。毎日唱えている「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」サンスクリット語のパラミーターと言う音写を漢字にしたのがこの波羅蜜多です。これは彼岸に到る、とか彼岸に渡るという意味です。自分で渡れるのか、誰かに渡してもらえるのか、色々な方法があります。

 

特に今は核家族です。自分の死後、誰も供養をしてくれない環境の人達が多くなっています。それならば自分で彼岸に渡れるように、コツコツと薄紙を重ねる如く、少しずつ功徳を積んで行かないと、自分があの世に帰った後、親戚縁者が供養してくれると思ったら、何もしてくれない。その人達を頼りにせっせと貯めた財産をその人達に残したけれど、そのお金は家のローンや車や遊興費に変わってしまった、悲しいかな死んだら供養などしなくても分からない、と思っている人が多いのです。あの世で恨み言を言っても始まりません。自分で不安の無い様に、自分の事はしっかりと正しく努力しましょう。  合掌