「仮想現実」

 今年の立秋は8月7日で暦の上ではとっくに秋になりましたが、残暑の厳しいこの時期に嫌な事はムカデが出る事です。蛇とムカデが一番苦手なのですが、ムカデ恐怖症になっていると夜中にワラビの煮物が落ちていてもムカデだと思い、紐が落ちていると蛇だと思いビックリしてしまいます。

 「仮想現実」という言葉がありますが、大阪の尼寺の方が買い物の帰りに公園で休んでいると蛇が出て来たそうです。その人も蛇が一番苦手でテレビで見ても気持ち悪いそうです。次の日、公園に行くと一匹だった蛇が二匹出て来たそうです。その次の日も恐いもの見たさで公園に行くと三匹、四匹と増えていました。恐いので近所の人達に話したそうです。すると、「今迄公園で蛇なんか見た事もない。あなた精神病と違う?」と言われ、精神科に行き医師に話すと、「恐いと思うから蛇に見えたのと違いますか?」と三軒くらいの病院で言われました。

 最後に大阪の森田療法という心理学の先生の所に行き「公園に数匹の蛇が出て来て、あそこに行くのが恐い」と訴えると、そのお医者さんは「僕も見た事あるよ。三匹も四匹も大きい蛇が出るよな」とおっしゃったので、尼さんはそれ見た事か、やはり他の医者は薮医者だ。我が意を得たりと思い「幻ではないですね?」ともう一度訪ねると、お医者さんは「幻ではありません。僕も知っていますよ」とおっしゃったのです。尼さんは「どうすれば良いでしょうか。恐くて仕方がないけど、そこを通らないと家に帰れないのですが」すると「僕も研究の為に、どの位の長さの蛇があそこに住んでいて、何匹いるのかを知りたいので明日から報告して下さい」とおっしゃったのです。その尼さんは使命感に燃えて毎日公園へ行きました。ところが、それっきり蛇は見かけなくなりました。真実を見極めようと思って行くと蛇などいないのです。お医者さんも解っていてその心理療法をとったのです。結果的には、それで恐がりと思い込みが少し直ったそうです。

 御神仏がおっしゃるには、人間関係もこれと似通っている。あの人は悪い人だ、この人は意地が悪い、この人は恐い、そんな気持ちで見ると真の人間性を見極め出来なくなります。恐怖心も一種の執着心だとおっしゃいました。今回の場合も自分の身体に害をあたえられないかと、かばう気持ちが恐怖心となり、真実を見極める事が出来なくなったのです。

 御神仏は私達の心の中に煩悩の草が生え続けているとおっしゃいました。その草を放置していると、草は一時的には冬の様に枯れますが根はいつまでも残ります。抜きやすい心の状態の時に抜く。それが修行の一歩です。私達がこの世に生まれて来る時に何を考えて生まれてくるのか?今度こそは真面目に修行をするぞ、一生懸命修行して良い所にステップアップするぞと思って生まれて来ます。ところが生まれて来たら楽しいことが沢山あります。美味しい物や興味をそそる事柄も色々ある。お金も欲しい。つい修行を忘れて他の方面に目移りします。そのうちにずるずると年数が経ち、そのまま人生の時間切れとなり、あの世からのお迎えが来たときに、初めて「しまった」また同じ事を繰り返してしまったという事になります。何の目的で自分達はこの世に生まれて来たのか。来世のステップアップの為の修行であるという事を忘れずに修行して功徳を積まなければ、心の中の雑草は根っこから抜く事は出来ません。その事を自覚して日々精進努力して頂きたいと思います。 合掌