身代わり
滋賀県大津市の三井寺に智興「ちこう」と言う皆から大変尊敬され、慕われた僧侶が居られました。その方が御高齢になられて病気になり危篤になられた時、弟子の晴明「せいめい」と言う祈祷師が他の弟子達を集めて言いました。「色々な祈祷をしてきたが、大僧正様もこれまでだ。しかし、たった一つだけ大僧正様の息災延命を願える方法がある。それはこの中に「自分の命と引き換えに大僧正様を助けて下さい」と言う御奇特な方が現れれば、大僧正様のお命は助かるでしょう。その祈祷は私にお任せください」と言いました。皆、下をむいてしまいましたが、その中で性空「しょうくう」と言う一番若い弟子が、「私で良ければ身代りにさせて下さい」と申し出ました。そして性空は、「その前に一つだけお願いがあります。私は一人っ子で、母は80歳を超えています。その母に、私は勝手に自殺するのでは無い。大僧正様の身代りとなって、あの世へ行くのだと良く言い聞かせなければいけません。母が家で待っておりますので、少しだけ時間を下さい」と言いました。
性空は家に帰り、「私の命と引き換えに大僧正様をお助けしたいと思います。そうすれば、たくさんの功徳を頂けるでしょう。私がこのまま修行をしたとしても大僧正様の様にはなれないと思います。ただ年を取りお母さんが死ぬのを見送り、供養をしただけで私が人間として生まれた価値があるのでしょうか?それならば今、身代りとなった方が三世(現在、過去、未来)の諸菩薩に功徳を授かる事になり、その功徳をあの世からお母さんに回向したいのです。その後、お母さんがあの世へ来た時に必ず良い所へ導く事が出来るでしょう」と母に言いました。すると母は、「私は愚かな者で、それが功徳であるかどうかは解りません。貴方を育てるのがとても楽しみで、天地にも及ばない程の宝物だと思っているのに、私を置いて、若い貴方が身代りになって死ぬと言う事が、はたして正しいかどうか私には解りませんが、修行している貴方が言うのだから信じます。それが功徳なのでしょう」と言いました
それを聞いて、性空はお寺に帰り晴明に御祈祷をお願いしました。その日の夜中に性空が休んでいると、段々と祈祷が効いて苦しくなって来ました。性空がいつも拝んでいる掛け軸のお不動様に、「私は未だ若くて、この世で充分な事をしていないので、あの世に行く事が恐いのです。どうかお願いです。地獄にだけは落とさないで下さい」と一生懸命に拝みました。そして息が絶えるかと言う時に、お不動様の声が響き渡りました「汝は師の代わりをし、我は汝に代わらん」とおっしゃり、お不動様が性空の身代りになられたのです。そして、性空と大僧正様は元気を取り戻す事が出来ました。彼の勇気と信じる心が、お不動様の心を動かし、奇跡が生れたのです。
私が生駒の聖天様に良くお参りしていた頃、ある男性が聖天堂の前で一生懸命に拝んでいました。「何を拝んでいるのですか?」と尋ねると「弟が癌で急に倒れて、私を身代りに弟を助けて下さいとお願いしているのです」とおっしゃいました。私は「偉い人だなぁ。でも身代りなんて出来るのかな?」と思っていました。しばらく経って、またお参りに行った時、今度は女の人が泣きながら拝んでいました。「どうしたのですか?」と聞くと、身代りを祈願していた夫が亡くなって、その弟は助かったそうです。その男性は性空と同じ事をしたのに、命を取られてしまったのは何故だと思いますか?聖天様にお尋ねすると、その兄の心の中には、弟を助けて貰っても、自分も助けてくれるだろうという、いい加減な気持ちがあったそうです。御神仏にお約束すると言う事は、心の底から約束しなければいけません。人間は自分の都合の良い様に考えを変える所があります。御神仏は私達が口に出さなくても心の中をお見通しです。御神仏が延命される時は、「この者は延命して社会の役に立てるのか?このままあの世へ帰った方が良いか?」と色々な事を考慮されます。例え可愛い我が子であったとしても、一生懸命純粋に信仰していれば、御神仏は必ず見ておられますので、全てをお任せして自分勝手に安易な考えをしない事が大事です。合掌