苦の種と楽の種

 人間は生まれて来る時、全員「苦の種」と「楽の種」を持たされます。よほどの悪因縁がない限り、苦の種よりも少し楽の種を多く持って生まれます。御神仏によると、同時に同じ手の中に持ってはいけないそうです。苦の種の方が硬いので、同時に持つ事によって軟らかい楽の種が崩れ、残るのは苦の種だけとなるのを防ぐ為に、同じ手に持たない方が良いとの事です。

 皆様は苦の種は要らないと考えるかもしれませんが、実はこの苦の種は私達にとって、とても大切な物です。もし苦の種を残して楽の種だけを選んで使ったとしたらどうなるのでしょう?この世にせっかく生を受けた甲斐がなくなってしまいます。苦の種こそ、この世で私達に任命された修行だからです。人間は楽しみが無く苦労ばかりだと精神的に病んでしまい、修行が続けられず、生きていけません。それを避けるために苦労と苦労の間に少しだけ楽しい事を与えられています。したがって楽な種だけを使うと、この世での修行がおろそかになり、人間として生まれて来た意味がなくなります。

 多くの人々は年を重ねる程、人生の中での苦労話を良く覚えています。逆に楽しかった事の方が多いにもかかわらず、あまり覚えていません。その結果、自分は他人と比べて苦労をしたと勘違いする人達が多くいます。反対に他人を見る時は、良い事ばかりが目立ち、他人の苦労は、なかなか分からないからです。これが高じてくると自分と他人とを比べ、妬(ねた)んだ結果、他人の不幸を喜ぶ人間になっていきます。幸せな人を見てその人の欠点を探し、それを吹聴し、ありもしない妄想を思い浮かべ、他人を陥(おとしい)れる。こうなると絶対にその人に幸せは訪れません。これは潜在意識が考える力を持っていないためです。自分自身が他人の不幸を喜ぶ人間であったならば、その人の潜在意識は、この者は不幸が好きなのだと勝手に思い込み、不幸をどんどん呼び込む事になります。私達は毎日ほとんど変化のない暮らしをしていると感じていますが、過去を振り返ってみると楽しい事、悲しい事、苦しい事など全て体験しています。自分が不幸を感じると、他人や御神仏のせいにしたがります。御神仏によほど失礼がない限り、御神仏は決して人々に罰を当てたりはされません。しかし感謝のない者達や、信仰心のない者達には光を与える事も少ないのは確かです。

 肉体が子供から大人に成長しても、常に子供の頃の物事に対する感動や、素直さが無ければ幸せを呼ぶ事は出来ません。私達に与えられている苦の種と楽の種を上手に使いきって、充実した人生を送りあの世に帰りましょう。その結果、来世も今より良い人生を頂く事が出来ます。逆に楽の種だけを使い、苦の種を残した人は必ず、今の人生より五倍も苦の種を来世で貰って来る事になります。したがって今苦労をしていると感じている人は、自分自身の為に苦の種を使っている事を忘れない事です。この事をしっかり自覚する事により、他人の人生が気にならなくなるはずです。また愚かな妬みもなくなる事でしょう。今のあなたは苦の種、楽の種?どちらを使用中ですか? 合掌