眼に見えないもの

 春風が庭の梅の香りを運んでくれる季節となりました。こんな環境に日々身をおける事に喜びと感謝の気持が自然に湧き上がります。これも信仰の道でお手伝い出来るからだと、つくづく感じます。しかし信仰心の無い方は眼に見えない物事を信じません。相談に来られても自分の答えを初めから持っていて、思い通りの答えならば聞き入れますが反対の答えだと詳しく聞きもしないで帰ってしまいます。

 忘れられない出来事の一つに鹿児島で大会社を経営している昔からの資産家のお話があります。その方の家は大変広く「庭の手入れをするのに観音様が邪魔になるので動かしたいのですが」と相談に来られました。初代のお婆さんが観音様をお祀りして本当に熱心に拝んでいたそうです。そのおかげもあってか家運が急上昇しました。しかし、今の当主になってから観音様を拝まなくても、もともと家は金持ちなのだと思う様になりました。当主がそんな考えですから子供達も誰も拝まなくなりました。そこで霊視した私は「この観音様は絶対に動かしたら駄目です。もしどうしても移動するのであれば私が良くお願いして、どこの位置ならお気に召すか観音様に伺ってから御指示通りに動かして下さい」と言うと、その方は「馬鹿馬鹿しい。石に聞くって、そんな事ある訳がない」と言って、その後の詳しい話も聞かずに直ぐに帰ってしまいました。その後、面倒くさいからと言って、町内の方々に「観音様を誰か貰ってくれる人はいませんか?」と呼びかけました。町内の方々は「そんなもったいない事を」と言い、頂くことにしました。当主は最後にお礼の供養もせず観音様を邪魔者のように庭から放り出しました。その方はこれで庭を立派に自由に庭師に任せられると、ある意味せいせいする感じでした。町内の人々は空き地をつくり、そこに観音様を安置しました。

 ところが一年も経たない間に数社あった会社がバタバタと倒産し、一番上の息子さんも大会社を経営していましたが、急に全盲になり病院で診察しても原因は不明でした。下の息子さんは出勤途中の自動車事故で即死。相談に来られた本人も急に全盲になったのです。家族で二人の方が全盲になりました。その後、観音様がおられた立派な家も売らなければ食べてもいけなくなりました。代々観音様に助けて頂いていたのに恩を忘れ、いつの間にか自分たちの力で財を成したと勘違いをしたケースです。

 この場合、観音様が罰を当てたのではありません。観音様を追い出して観音様のお光を頂けなくなった結果、こうなったのです。御神仏は決して罰は当てません。守って貰えなくなっただけのことです。人間の愚かさが良く出ている実話です。四月は施食会です。眼に見えない御神仏や御先祖様を大切に致しましょう。合掌