慣れは大敵
ある男性が勤続40年、大会社に勤めて定年で退職する事になりました。
真面目で部長に昇格して10数年経ち、協力工場など対外的にも誰からも部長、部長と、もてはやされました。仕事をしながら様々な人間関係を築き、自信が持てたので退職後は自分で商売を始めました。起業して周りの人達に開業の挨拶に行き、そこで大変驚きました。あれ程、自分の事を慕ってくれた人達が、皆よそよそしく応対する事に気が付いたのです。皆通り一遍の挨拶しか返って来なかったからです。自分が好かれていたのではなく自分のバックにある会社の大きな存在に他人が頭をさげていたのだ、と言う事を思い知らされました。
自分を慕ってくれたのでもなく、尊敬は勿論の事、自分自身に能力があったから皆が近寄って来たのでもない事を痛感しました。そんな事にも気付かなかった自分の愚かさにしばらくは落ち込んだ様子でした。これは過去に大会社に勤めていた人達が、たいてい経験する事です。この男性も部長に昇進してからは、頭を下げられる方が日常多かったので、それが当たり前になっていたそうです。
現代はテレビが占領している部屋に、昔は神棚や仏壇がありました。テレビは自分勝手な考えでチャンネルを選び、それを見て自分が批判する立場になれますが、他人に頭を下げられていると、次第に自分が偉くなったと勘違いし錯覚を起こします。何故かと言うと自分が頭を下げるべき神棚や仏壇が少なくなり、礼拝する事がないので自分で頭を下げる事もなく、自分の生きる姿勢に自分は正しいと思い込み、何の疑問も抱かなくなります。その結果他人からの意見や注意、教えを聞いても自分に都合の悪い事は全て他人事としか思えなくなります。これでは絶対に人間向上はしません。浄土真宗の蓮如上人曰く「村すずめには困ったものだ。初めは脅せばすぐ逃げたのに、慣れてしまうと鳴る子に乗って来る。」これは人間をすずめに例えて、人間関係を表しているのです。
自分の家の中に美味しい物が沢山あるのに気付かず、私達は外へ外へと目を向けます。私も日本を離れ、インドや中国へ旅行に行って初めて気が付きました。日本には美味しい物が沢山あるしホテルも清潔です。私は現地の食べ物が全く口に合わず、日本から持っていったカロリーメイトを数日食べて過ごしたのです。その時驚いたのはこんなに美味しい物だったのかと感じたのです。おそらく日本にいると食べなかったと思います。日本人は特に物が豊富であるのに慣れて有難みも分からず、むしろ慢性欲求不満患者になっているのです。もちろん医者では直りません。御神仏が何時も説かれるのは信仰に慣れは禁物だとおっしゃいます。慣れると神棚や仏壇にも手を合わす姿勢が違って来る。
御神仏が説かれる法話にも自分の事だと思わず他人事だと思い、一生懸命聴こうとしなくなる。この様な事が続くと自分自身の人間的な向上はなく、他人を批評するだけの人間になっているであろう。まるでテレビを見て批評する様に。この様な結果にならない様に絶えず自分自身を振り返り、見直す事が肝心です。また時には他人の意見をしっかりと素直に聞き、自分に取り入れる努力が大事です。何事にも慣れは自分自身の向上にとって大敵です。もう一度信仰の姿勢に慣れはないか、見直して下さい。 合掌