全てが生きている

 無事に大祭が終わり、今が一番過ごしやすく、美しい紅葉の季節になりました。聖法院でも大祭に備えて、本堂や各諸堂の欄干や鐘楼堂などの塗装をして頂きました。始めはこんなに綺麗だったのだなあと感じると、同時に色々な物は、どんなに汚く色あせても黙って耐えてくれているのだなあと思いました。

 人間であれば四季折々に衣替えをします。物は黙っている分、私達がしっかりと面倒を見なければいけないと、つくづく感じます。元の色を取り戻し、色鮮やかになると御聖地や御神仏までも不思議と華やいで見えます。お参りされる方々からも「良く手入れされた綺麗なお寺ですね。」と言われ、気持よくお参りしていただけます。総長も私も同時に塗装をし直そうと、思ったのは偶然ではなく、秋の大祭までに綺麗にしたいと、何かが囁き気持が動いたのです。御神仏は常々この世に偶然はないとおっしゃいます。本当は物も私達に何かを訴えかけているのではないでしょうか。テレビや掃除機、冷蔵庫等の電気製品も大切にして感謝の気持で使用すると耐用年数が違うかもしれません。

 以前毘葉羅園で、松本造園さんが石垣を作るために、運んできた石を次々と手際よく積んでいくのを見て、本当に感心していた事を思い出しました。良く上手く石同士がかみ合っていくものだなあと、松本さんに「あらかじめ合うように削っているのですか?」と尋ねると、「そんな事はしません。全部自然ですよ。」「なぜ石同士がピシッと納まるのですか?」と聞くと、「石の前に立ってじっと見ていると、石があそこへ持っていってくれ、ここへ積んでくれと言う声が聞こえるんです。」「いつごろから石の気持ちが解る様になったのですか?」と尋ねると「いつごろからと聞かれるとハッキリ解らないけど、自分が石の立場になって考え、何処に使って貰えば一番美しく自分が活かせるのかと思うと、自然に石の気持が解りますし、石の声が聞こえる様な気がします。」と言われました。

 商売も同じ事が言えます。金儲けしたい、と言う考えを優先するよりも、この商品を買って頂いたお客様が喜ぶ品物を提供しようと、考える事の方が結果的には上手くいきます。住宅も片付けや掃除をする事によって、家も喜び、そこに住む私達を自然の厳しさや病から護ってくれるのです。

 金運も同じです。お金から私達を見た時、この者にお金を渡したら、どんな使い方をしてくれるのか?を考えると、お金も有効に、無駄なく使う人の所へ行きたいでしょう。ただ蔵の中にじっと閉じ込められるだけでは価値がないので、お金も嫌がるのではないでしょうか?この様に物品でも何かを感じます。ましてや人間同士なら、もっとはっきりと感じる事が出来るでしょう。

 せっかくこの地球上に生れて来たのです。お互いが出会う事は不思議なご縁だと考え、このご縁に感謝し、喜びを感じ、仲間意識を高めて和合に努める事が、御神仏からのメッセージと思って間違いありません。全てを仲間と思う各人の思いが、世界の平和に必ずつながります。 合掌