信仰を続けるコツ

 五月一日のゴマの時、お不動様から参列している方々に質問がありました。「信仰を続けるコツは何か?」皆からは色々なお答えがありましたが、お不動様のお答えは「信仰の心と人間関係は似通っている。どちらも大敵は<慣れ>である。例えばその関係が夫婦、親子、会社の上司、同僚、地域の隣人、その他様々な人間関係があるが、いずれも慣れ過ぎると日々の物事に対して緊張感を逸する。その結果全て自分の要望を聞いてくれて当たり前となり、人々は相手に対して次々と求める事ばかりが増えて来る。それがやがて自分の希望通りにならないと不平不満だけが残る。信仰も人間関係も親しければ親しいほど少し距離を置いて考える方が末永く、しかも正しく続けられる。」

 「もう一つ忘れてはならない事を挙げると、信仰はもちろんの事、家族を含めた他人は、いくら近づいて親しくなっても全てを解り合う事は絶対に無い。信仰も人間同士も深くなればなるほど理解出来ない事も多い。相手の全てを知ったつもりになって、様々な言動を起こすことは間違いであり、自分の思い上がりでしかない。その結果必ず亀裂を生じ、それらの関係が上手く行かなくなる。特に気をつけなければならない事は、信仰を自分で辞めたつもりでいると、実は神仏から見放されている時が多い。どちらも相手に対する尊敬と感謝を忘れるでない。重ねて言うが大敵は<慣れ>である。とおっしゃいました。

 慣れると緊張感がなくなる。例えば鳴動式ですが御神仏は一糸乱れない正装で御降臨されます。私はそれが解るので三十数年経っても絶えず緊張しています。しかし皆様は見えないので無理はありませんが、あくびをしている人があります。それを全部見ておられます。でもそれに対して特に御注意はありません。何故だか解りますか?御注意がない事を喜んでいてはいけません。注意する段階まで昇って来ていないからです。例えば子供が少々の悪戯をしても叱りませんし、大目に見ます。それは成長過程だからです。

 私もこれまでに色々な体験をしています。まだ八尾のお寺が建った頃、夜中に拝む時に疲れと風邪気味で自然に生あくびが出ました。修法を続けようとした時、お聖天様が静かに「そんなに眠いのなら、もう下がるが良い。」とおっしゃり、ビックリしました。余りに静かなお声で何時ものお聖天様と違っていたからです。この事を今でも忘れる事は出来ません。いつもの様に大声でお叱りを受けた方がどんなに楽だったことか。その時、台から飛び降りて何度も謝り、顔を洗い、もう一度、最初から修法をやり直しました。当たり前ですがその夜、御神仏はもうお越しにはなりませんでした。私達は緊張の連続です。でもお叱りを頂けるのは幸せですね。神様が見ておられる事を忘れないで下さい。 合掌