お盆月

 今月は御先祖様が楽しみにしておられるお盆の月です。正しくは盂蘭盆会(うらぼんえ)と言います。以前にもお話致しましたが、お盆の行事のきっかけは、お釈迦様の十大弟子の一人、目連(もくれん)尊者は非常に優しい慈悲深いお方でした。特にお母様の事が大好きで母の死後、大変気になり霊界で母を探す事になったのです。まず自分の母親だから良い所に居るに違いないと、まず天上界を探しました。隅々までくまなく探したのですが見つからず、一段ずつ下がって必死に探しました。

 何処にも見当たらず、まさかと思った餓鬼道を恐る恐る探すと、そこに大好きな母が餓鬼の姿で苦しんでいる哀れな姿を見つけ出したのです。何故優しい母がこんな哀れな姿になっているのか解からず、お釈迦様にお尋ねしました。そこで自分が全く知らなかった母の性格を教えられました。息子の目連には大変優しかったのですが、どんなに多くの物を持っていても、他人には恵んだり、施す事を知らず、利己主義者だったのです。そんな人生を送った為に死後は自分が食べられない餓鬼道に落ちたのです。何時も御神仏が言われる様に親子でも修行は別です。

 お釈迦様に母を助ける方法をお聞きすると、出家僧の修行である夏安居(げあんご)「3ヶ月間一切外に出ず室内で修行する事」の最終日7月15日に全ての仏弟子達に供物を捧げなさいと教えられ、お釈迦様には勿論の事、大勢の仏弟子達にたくさんの食べ物を目連は教えの通り御馳走したのです。すると仏弟子達は大喜びし、その功徳が目連の母を助けました。餓鬼道から抜け出られた母を見て仏弟子達も自分の事の様に喜び、思わず歓喜の踊りを踊りました。これが今の盆踊りとして伝えられているのです。

 旧暦の7月15日にちなんで現代は8月15日にお盆供養をする所が多くなりました。お盆は両親や先祖に対して報恩感謝する日でもあるのです。目連尊者の行為は有縁無縁(うえんむえん)の者達に供養すると自分の先祖に功徳が行き、やがてそれが自分自身の幸せにつながる事を表しています。有縁無縁の意味は全く知らない人達を指すのではなく、有縁とは自分に直接間接に関わらず縁がある人達で、無縁は自分が知らなくても先祖が世話になっている場合の報恩感謝の気持ちです。

 聖法院の行事では今月のお盆の送り火供養と、施食会の年二回の行事を大変楽しみにしています。有縁無縁も関係なく供養する事が大事です。但し自宅では他人が混じりますので、供養は出来ません。京都の夏の風物詩である大文字焼きもお盆の送り火を表しています。私達は努力次第で自分のしたい事をある程度、自分自身で楽しむ事が出来ますが、御先祖様はこの世に残された私達が手を差し伸べなければ何も出来ません。年二回の御先祖様の行事をしっかりさせて頂きたいものです。それが自分自身の現世でやるべき務めでもあり修行なのです。 合掌