お墓の同居
今月はお彼岸月です。やはり御先祖様にとって、楽しみでもあり大事な日です。お彼岸にもお墓参りに行きますが、最近よく耳にしますのは「主人が元気な時は亭主関白で、縦の物を横にもしない人でした。長年生活して主人に仕えてようやくあの世に送り出したのに、あの世でまた主人やお姑さんに会ってこき使われたくないから別の墓に入りたい」と言われる女性が多いのです。
同じ墓に入ってもあの世で会う事にはなりません。例え心中の様に同時刻、同じ亡くなり方をしてもあの世で結ばれる事もないし、霊界では同じ世界には行きません。余程同じ因縁同士でない限りあの世で出会う事はないのです。特に仲が悪かったお姑さんとお墓に一緒に入るのは嫌だ、と拒否される女性の方が多いのですが、不思議と男性の方からは妻と一緒にお墓に入りたくない、とは聞いた事がありません。
夫婦のあり方は様々ですが、詩人の西条八十(さいじょうやそ)さん御夫婦のお話を致します。二人が結婚したのは彼が24歳、奥様が20歳でした。八十さんのお兄さんが親の財産を食いつぶし、行方を暗ましていました。年老いた母と妹、弟を抱えて貧乏のどん底で生活をしていたある日、外出先でにわか雨に遭い、雨宿りをしていた店で、傘を貸してくれた優しい女性が奥さんでした。結婚式は身内だけの十人位の集まりで、ささやかに行われたそうです。奥様が64歳になった昭和35年6月1日、この日は結婚記念日だったのですが、八十さんを残してあの世に帰られました。44年間の結婚生活だったそうです。生前彼女が望んでいた、自宅から100キロ離れた場所にお墓を立てました。その場所は奥さんの妹さんが眠っている場所です。1周忌を迎えた6月1日に納骨をしました。その後八十さんは毎月1日の朝6時に家を出て、墓参りをする習慣になりました。さすが詩人だけあって西条家の墓には詩が刻まれています。「われら二人楽しくここに眠る。離れ離れに生まれ、めぐり会い、短き時を愛に生きし二人、悲しく別れたれど、またここに、心となりて、とこしえに寄り添い眠る」この詩にある「心となりて」は魂となっての意味です。縁あって結ばれたのですから、出来るならばせめて墓場までは一緒に行きましょう。
いくら仲が悪くても自分で選んだ人です。いや私は、親が選んで無理矢理に結婚させられたと言われる人が居ますが、それも最終の決定は自分がしています。御神仏はこの世に偶然はない、と言われました。夫婦になる赤い糸は5本あるそうですが、その中で一番太い糸を選んだと信じて、お互い最期まで添い遂げる努力が、この世での修行となるのです。再婚の方や親子兄弟姉妹も同じです。それらの人間模様色々だと思いますが、良き人間関係が保てる様に努力致しましょう。 合掌