「一呼吸」
お釈迦様が『寿命は一呼吸です。一呼吸一呼吸をつなげたものが一生です』と説かれました。自分は平均寿命までは生きる、と思っている人が多くいまが、若い時は「50才迄生きたら充分です」と言っていた人が、もうとっくに70才を過ぎているので「あなたは何歳まで生きたいの?」と聞くと、「認知症にならずに動けたら、ずっと生きたい」と答えます。これが人間の本音です。
しかし寿命や金運だけでなく、色々な物事に対しても自分の人生における升は決まっています。升の大きさは前世での因縁や今世での言動により各人違います。他人の升と比較しても意味がありません。やはり升が小さな人は妬みや他人の幸せを喜べない人が多いようです。今世でもその様な言動を続けると、来世では今よりも、はるかに小さな升を持って生れる事になります。他人の幸せを上辺で喜んで、影で悪口を言っている人がありますが、潜在意識はそのまま覚えこむので、嘘はすぐ見破られます。他人の幸せを本心から喜ぶ事が大切です。
皆様は説法を聞いていますが、悩んだ時にその話を活かす事が出来ていますか?説法を活かし、自分自身で努力をした後は、ただ淡々と自然を受け止めるという気持ちが一番正しい生き方です。悪い事が起きた時、ただ悩むばかりで努力をしないと、そこにいつまでも停滞してしまいます。もっと悪いことは、努力もせずに過去ばかり振り返り、あの時に違う道をたどれば良かったのではないかと後悔することです。お大師様は『どんなに優れた人間でも生きていると何度か不安や迷いが生じる時が必ずある。その時にしばし立ち止まって考える事は良いが、決して後戻りをしてはいけない。人生少しでも前に進む事だ』とおっしゃいました。その時に重要なことは、前向きな気持ちで努力し、行動を行う時でも様々な物事に対して利己主義にならない様に気をつけることです。
お釈迦様の教えは、自分だけが良ければよいと言うのではなく、皆と共に正しく信仰し、皆で一緒に幸せになろうとする大乗仏教の考え方です。しかし、お釈迦様は『三回正しく導いて聞く耳を持たない人に対しては、しばらく放っておいて真剣に話を聞く人に大切な時間を費やしなさい』とおっしゃいました。他人に話をし、聞いて頂く事はその人のためだけではなく自分自身のためです。それは、話をすると自分の声が必ず耳に入り、その結果、話の内容と違う言動を自分自身も出来にくくなるからです。私は禁煙します、と宣言するのと似ています。他人に話す事で更なる自覚をするためです。信者の皆様のお役目は法の種を出来るだけ多くの人に蒔く事です。お大師様も自分一人で種を蒔くのは限界があるので、影武者を使ってあちらこちらで説法をさせました。皆様の種蒔きが他人を助ける力になり自分の功徳にもなります。 合掌