新年の言葉

新年明けましておめでとうございます。昨年中は色々御協力頂きましてありがとうございました。お陰様で厳かに新年を迎える事が出来、心から感謝致しております。
 今年は巳年です。蛇にちなんだ熟語を探すと『画蛇添足』(がだてんそく)の言葉があります。これは中国から来た言葉であり一般的に無益な事、無駄な事を蛇足(だそく)と言います。紀元前323年に内戦を起こした時、王様が勝ち進んで優勢になったのを見て、戦っていない別の男性が王様に対して「王は、この戦いで勝利を得たら、どんな位に就く事が出来るのでしょうか?貴方様はすでに最上の位になっていらっしゃる、それ以上の位はございません。上がる余地のある他の者に褒美を譲って頂けないでしょうか?」と進言し、次の様な話をしました。ある屋敷の家人に大杯の酒を送った人がいました。貰った家人は、三人で分けると少なくなるので、蛇の絵を地面に一番上手に早く画けた者が飲んでも良い事、と決めました。一人の男が早く画き上げ「俺が一番だ。足も画き足してやろう」と足を添えて画いていると、その間に別の男が画き上げて「蛇には足は無い。だから俺が一番だ」と言い酒を飲んでしまいました。これは無駄な事をしても何も得はしない事を意味しています。この蛇足の様に世の中には無駄な物事が沢山あります。無益な行為や言動は、時に他人を不愉快にする場合があります。親しき仲にも礼儀ありで、親し過ぎるとつい無駄口を叩いて相手を傷つけても気付かない場合があり、そこから人間関係を損なう事があります。そのような事にならないように言動には充分気をつけて常に良い人間関係を保ちましょう。
 初ゴマにお不動様のお言葉を頂きましたのでお話し致します。
「人々は人生に於ける自分自身の物差しの長さを自覚した方が良い。ある程度長さが判れば、その長さの『中道』(ちゅうどう)を良しとせよ。中道をもって感謝の心を持つが良い。人間は愚かなもので最高の人生になっても、もっと高くもっと高くを望み感謝の念が全くない者が多い。」とおっしゃいました。
 例えば、給料が上がった。その時は「良かったな~」と思い多少の感謝をしますが、しばらく経つと「全然給料上がらんな~」となります。今迄で一番高い給料になったのに右肩上がりを普通と考える。現時点の給料を頂いている事に感謝を忘れている。今の給料が自分の限界なのであれば、本来の適切な給料は、もっと低い額という事になります。そこを忘れて、もっともっとが仏教用語で「求不得苦」(ぐふとっく)と言い、求めているのに得る事が出来ない苦労を産みます。そして不満を持つ事になり人間関係が悪くなって、結果として給料が下がり、仕事を失う事に繋がります。健康や能力でも同じことです。一番健康な時を自分の普通と思うから感謝がなくなります。一番悪い時と一番良い時の真ん中あたりを自分の基準と思い、今の状況に絶えず感謝を持たなければ、次の幸せは来ません。分かりやすい例が、スポーツ選手の年俸です。ピークの時は数億円を稼ぎ、その後段々下がり、最後には普通のサラリーマンの年収にも届かない方も多くいます。多くの年俸を頂いている時に感謝を持ち、自分の標準年俸はここではなく、今はまとめて頂いているだけだと思い、生活レベルを抑えることも必要でしょう。高望み全体を悪だと言っている訳ではありません。自分のピークを当たり前と思わず、感謝して暮らす。能力を上げる努力や人に対しての善行は、いつも限界以上に積み上げていく必要があります。それが自分自身の物差しを伸ばす方法です。当たり前は、既に『てんこ盛り』のご褒美です。感謝も『てんこ盛り』にし、今年一年を暮らして頂きたいと思います。
 今年も聖法院を心の故郷として、楽しい時も悩める時も足を運んで頂き、心清らかに物事に感謝出来る、穏やかな楽しい一年をお暮らし下さい。今年も宜しくお願い致します。
合掌