お釈迦様のお願い

 お盆月ですので、霊界の御先祖様をお迎え致しますが、他人事ではなく私達も全員あの世へ帰る時が必ず来ます。5月の瞑想会で後3ヶ月と悟られたお釈迦様に弟子達が色々な質問をする場面がありました。感動したのはお釈迦様に「死を迎えるのが恐くないですか?不安ではないですか?」と質問すると『死に対する恐怖は全くないが、不安は大いにある。その不安とは私の死後、私が悟った内容を弟子達がよく理解し、それを正しく後世に、継続的に伝えてくれるか否かが不安で堪らない。私がこの世に生を受けたのは、自分自身が悟る為だけではなく、家族や地域社会、その国全体に悟りを広め、やがて地球上の人類全てに悟りの内容が正しく伝えられる事を心から願っている。その結果人間同士が争う事無く、穏やかに平和に暮らす事を祈っている』と皆に説かれたのです。その時から2600年も経っているのに、未だに内戦や国同士の戦争が止まないのを、お釈迦様が見られて、なんと人間は愚かなものよと嘆いておられると思います。だから私の様な者を使者としてこの世に送り込み、正しく悟りの内容を継続し、一人でも多くの方々に説くお役目を頂いているのです。ここで説法を聞かれた皆様も同じ様に、多くの方々にお話を広める役目があるのです。皆さんも遥か下ではありますが大勢の人々から選ばれたお釈迦様の弟子になります。その事をわきまえて、自分だけの話にしないで機会が有るごとに説法を広めて下さい。その際、自分勝手にこの人はこんな話は嫌いであろうとか、この人は聞いてくれないであろうと決めつけないで話して下さい。お釈迦様は期待して御神仏の使者としての皆様をじっと見守っておられます。くだらない事で時間を無駄使いする暇はありません。お釈迦様の切なる願いを託された私達も心して一人でも多くの方々に、お釈迦様の説法を広めて行く大切な任務を忘れないで下さい。

 浄土真宗の蓮如上人曰く『静かに胸に手を当てて考えてみれば、私達のこの世の幸せなど稲妻が光っている間の事である。人生思いのまま生きても50年、あっと言う間の出来事である。死ぬ時になれば妻子も財産も、何一つ役には立たない。死を迎えた人に出会った時、それが真実として受け止めよ。眼をそむけるな、他人事と思うな、色々な教えも精神的な空腹感がなければ、我が身に体得できない。何事も満足感を得られず、感謝の心がなければ、死後必ず餓鬼道に落ちる事疑いなし』と説かれています。

 昔は人生わずか50年と言われていました。現代の寿命は80歳程に延びていますが、それはあくまでも平均寿命であって私達全員がそこ迄の寿命を頂いている訳ではありません。明日も判らないまま正に生かされているのです。自分が勝手に生きているのであれば、自分の寿命は自分自身で判るはずなのですが、御神仏に生かされているので全てお任せです。明日をも判らない状態ですから、今日やるべき事は残さずやる事が大切です。遊びの時間も、その後に有意義な人生の肥料に変える事が出来れば、決して無駄ではありません。選ばれた私達です。御神仏や自分の守護霊にがっかりさせない時間の使い方をしてあの世に帰りましょう。    合掌