新年の言葉

 新年明けましておめでとうございます。昨年も色々と御協力頂きまして誠にありがとうございます。本年も何卒よろしくお願い致します。

 小林一茶が新年を迎えて詠んだ句があります。「めでたさも中ぐらいなり、おらが春」おそらく晩年の作だと思います。私も年を重ねる毎に、この一茶の気持が分かるようになって来ました。子供の頃は指折り数えて待っていた楽しいお正月が、いつの間にか、あぁまた一年過ぎてしまった、と溜息と共に新年を迎える自分があるからです。御神仏に年は数えるなと言われましたが、新年だけはどうしても、また年を取らなければならないのかと思ってしまいます。「時は人を待たず」で世の中の残酷な事の一つは、年を重ねる事だなあとつくづく思います。でも一茶はこんな暗い気持ちばかりで、この句を詠んだのではなく、今年もまだ生かされている。ありがたいなあ、と思うほのぼのとした暖かさが『おらが春』の言葉で伝わります。まだ生かされるのなら去年より今年、今年より来年と無駄のない月日を送らなければもったいない。ただボ~ッと無駄に生かして頂くと申し訳ない。努力した後は「人事を尽くして天命を待つ」気持ちで暮らすのが一番です。

 今年も元旦に初ゴマを修法し、お不動様に新年のお言葉を頂きました。私達がこの世に生を受ける時、今世での生活に組み込まれる物事があるそうです。それは前世で既に体験した事とプラスして、今世でチャレンジする事を一つ組み込んであるそうです。それがどれであるかは教えてはいただけません。自分の人生を真面目に努力して、ある年数に達した時、必ず自然にたどり着く様になっています。例えば私の場合、僧侶は今世で始めて経験する事です。これは今までの前世では体験していないので、相当な努力が必要です。もしその努力が実って自分に課せられた事柄をやり遂げた時は、あの世に帰った時に3ランクアップするそうです。その結果、来世に生を受けた時は、今よりずっとレベルアップした人生が送れるようです。組み込まれる物事は自分が努力を重ねれば必ず実らすことが出来る事柄です。それは自分自身にその能力が備わっているから可能なのです。今私達が体験している事柄は前世で体験した事に加え、自分に与えられた能力で解決出来る事柄です。従って何事も出来ないと思うのは間違いです。この世での事柄は全て努力次第で解決出来る物事ばかりですから出来ないと最初から決め込まない事が大切です。何が自分にとってチャレンジするべき事柄かを自分自身の心と問答する事も、この世での修行の一端であるとお不動様はおっしゃっていました。食わず嫌いと似ていますが何事も初めから自分に出来ないと思い込まず、今年は自分に問い掛けながら努力し、チャレンジ精神を持って進んで下さい。今年も悩みや苦しみの時は勿論の事、楽しい時や嬉しい時にもぜひ聖法院へお参りして下さい。心の故郷として今年もよろしくお願い致します。寒い中お参り有難うございました。 合掌