霊山寺参り

 霊山寺(りょうせんじ)は、約1300年前に建立されたバラ庭園があるお寺です。明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって仏像も伽藍もほとんど焼けてしまい、昭和から平成にかけて建て直されたそうです。ご本尊様の薬師如来様から、お言葉を頂きましたのでお話し致します。

 『仏より手を差し伸べし人々の、握る手、離す手、過ぎ行く手』「人間は愚かで面白い。私から救いの手を差し伸べても、その反応は様々である。私の手をしっかりと握って、すがりつく様に救いを求めて来る者もおれば、せっかく握っても直ぐに振りほどいてしまう者もいる。理解出来ないのは知らん振りをして過ぎ去って行く者がいる。しかし手を振り切るように離したり、知らん顔して過ぎ去って行く者ほど後になって慌てふためき再び願いに来る。もちろん、その時の願い事は自分勝手な事が多い。しかも、たった一度願いに来て、それが叶わぬとこの世には神も仏もない、と申したてる。そんな気ままな輩(やから)も全て私にとれば可愛い子供達である。つまり出来の良い子もいれば、やんちゃな子供もいる。

 そんな中で参りに来ても勝負事に負けるし、交通事故に遭うし、ろくな事がないと不平不満を述べて帰る者達もいる。そんな者でもたまには良い事に遭遇する。しかし、その時は自分勝手な運の良さのせいにする。従ってお礼参りをしようなどの思いは毛頭(もうとう)ない。こちらの世界からは全ての物事が見えているが、逆に人間の世界から神仏の世界が見えたら悪人も少しは改心し、真っ当な生き方に変える者も出て来ると思うが、思うにまかせぬのが人間の修行の場である。年中人々の願いを聞くばかりではなく、私の願いを聞いてくれる者はおらぬか?年に一度で良いから人間の世界から、神仏の世界が見える日を一日だけ制定して欲しい。これで神仏の悩みも一挙に解決出来ると思われるが無理かな」と笑われた。御神仏でも冗談をおっしゃることもあるのだ、と少しほっとしました。

 続いて「薬師の本分は病を治す事と思われている。しかし神仏に願いを掛けるだけでなく、病に掛かる原因を究明して、病にならぬ様に努力する方がはるかに賢いと思われる。まずは食に気を付ける事、精神を健康に保つ事、後は仕方ないと諦めている体質、先祖から受け継がれている体質を改善する事。これについては、ほとんどの者達が諦めて、さほどの努力もしない。しかしこれは前世から持ち越している因縁が原因となるものも多々あり、来世に掛けて努力すれば必ず解消される。私の本分は精神を健全にする事が主である。それによってほとんどの病は解消される。精神の持ち方が健全でなければ肉体は必ず蝕(むしば)まれる。それを考えると信仰心を持って、仏の教えに従って素直に生活を送る事が肉体の健全につながり、結果として楽しく人生を送る事になる。素直に明るくクヨクヨせず、不平不満を持たず、感謝の心で暮らすが良い。これら全てが自分の心の持ち方であり、従って病を引き起こすも自分自身である」合掌