日本の幽霊

 今日は節分です。豆を撒く時、一般的には鬼は外、福は内です。お寺によって様々な言い方があります。例えば東京の亀戸天神では「鬼は外」しか言いません。理由を聞くと福は参詣人に持って帰ってもらうためらしいです。千葉県の成田山新勝寺では「福は内」しか言いません。理由は、ここの御本尊である不動明王様の慈悲によって、鬼も鬼でなくなると言う考えからです。東京の雑司ヶ谷の鬼子母神では「鬼は内、福は内」理由は「鬼は外」と言えば鬼子母神も外に追い出す事になるからだそうです。奈良県吉野の蔵王堂では「福は内、鬼も内」で鬼を集めてお経の力で改心させようとするためだそうです。この様にそれぞれ考えがあって日本全国で今日は豆まきをします。何故豆なのでしょう?一番多く伝えられているのは、魔を滅する「摩滅」から来ています。

 聖法院では「福は内、鬼は内」と言いながら、真の鬼は自分自身の心の内に隠れていることを毎年自覚し、少しでも心の中から追い払えと御神仏に教えて頂きました。しかし他人の心の中の鬼は良く見えますが、自分の心の中は中々見る事は困難です。例えば他人の背中は見えますが、自分の背中は鏡を使わないと見る事が出来ません。心の中の鬼を追放するには、まず自分の心の中に鬼が居すわっている事をしっかり自覚して、御神仏の説法の力を借りて追い出すしかありません。

 この鬼はもともと自分自身が作り出したものです。原因として面白い考えがあります。それは幽霊です。日本独特の幽霊を表す時、特徴が3つあります。

1. 足が無い。2.髪が異常に長く、後ろに引きずっている。3.手を前にだらっと垂らしている。足が無いのは、心が過去や未来にばかり飛び回り、今現在、足が地についていない状態を表します。髪が後ろに引き摺っているのは、済んでしまってどうにもならない事を心の中で、ぐずぐずと何時までも引きずり続ける様子、あんな事をしなければ良かった、こうすれば良かったと反省する事は良いのですが、それを何時までも、心の中に荷物として背負い込み過去に捕らわれ続けて身動き出来ない姿を表しています。両手を垂れているのは、来るか来ないか分からない未来への取り越し苦労をしている様子です。白隠禅師の言葉に『三合五勺の病に八石五斗の気の病』があります。本当の病気はわずか三合五勺ほどだが、気の病で、ああなったらどうしょう、こうなったらどうしょう、治らなかったらどうしようと心が八石五斗も悩み、ついに本当に食べられなくなる有様です。『過去を追う事無かれ、未来を思う事なかれ、ただ今まさになすべき事を熱心になせ、誰か明日死のある事を知らんや』お釈迦様の説かれたお言葉です。皆さんも生きながらにして幽霊にならぬ様に注意しましょう。合掌