施食会について

 来月4月4日は鳴動式に引き続き、御先祖様が楽しみにしておられる施食会(せじきえ)です。多くのお寺さんでは施餓鬼会と言われています。聖法院では餓鬼道の世界にいる御先祖様だけでなく有縁無縁(うえんむえん)を含めた三界万霊全てに食を施したいので施食会と言っています。この行事は御先祖様に食を施す為だけではなく、日頃私達が多くの生き物を犠牲にして、自分達の命の糧にさせて頂いている事に対しての感謝を表す行事でもあります。お釈迦様の十大弟子である目連上人のお母様が餓鬼道に落ちていたのを施餓鬼会で救ったのは有名なお話です。施食会の時に限らず大事なのは有縁無縁にも施す心です。自分にとっては無縁でも御先祖様が何らかの世話になったかもしれない霊魂や、私達が死後誰も供養をしてくれなかった場合には無縁の霊になりますが、その時の事を考えると自分にとっても他人事ではなくなります。また他人に施す慈悲の心を養う事にもなります。お釈迦様が説かれた言葉の中に『幸せを求めるならば、まず幸せの花が咲く種を蒔きなさい。蒔かぬ種は実る事はない』と説かれています。その種の一つが施食会です。自分の不幸を嘆き、他人に当り散らし「神も仏もあるものか」と不平不満を言う人達がいますが、嘆いても苦しみから抜け出す事が出来ないばかりではなく、何一つ解決しませんし、運気が上がる事もありません。それよりも幸せが実る種蒔きをこつこつと積み重ねて行く事が大事です。それは善因善果となる種蒔きです。不幸は幸福に、不運は幸運になる種蒔きが大切です。あの世で餓鬼道に落ちた霊魂は、自分自身の力で這い上がる事は不可能です。従って残された子孫の者達がしっかりと供養をする事が大切です。

 施食会を修する事によって受ける功徳は、先祖だけに及ばず私達にも計り知れないものがあります。自分自身の悪因縁を消し去り、様々な災いや病難等を祓い福を招き、寿命を延ばす功徳もあります。昔からの諺でもある様に『情けは人の為ならず、巡りめぐりて我が身の為に』この諺の如く先祖の為にしてあげる、と言う考えではなく、自分自身の為にさせて頂く考え、の方がむしろ正しいのです。もう一つこの施食会の大切な事は、餓鬼に施すのはあの世だけではなく、この世にも餓鬼が大勢居る事をしっかりと認識する事だ、と御神仏が言われました。他人事ではなく自分自身がこの世の餓鬼道に落ちる事がない様に、言動に気をつけて精進努力した生活を致しましょう。 合掌