托鉢の心

 今年も5月に瞑想会がありますが、よくお釈迦様の托鉢の場面が出てきます。托鉢の場合は、布施をする人が感謝の言葉を述べて食事を渡します。托鉢の有名なお話で、お釈迦様が農繁期に托鉢へ行かれた時のことです。農家の人は朝早くから田畑に種を蒔きます。托鉢へは、お粥、お菓子など色々な食物を供物にします。まとめ役の農夫がお釈迦様に「忙しい時に托鉢に来られても渡す時間がない。ただ物をくださいと言って回らないで、あなた達も種を蒔(ま)いて耕して自活しなさい。」と言いました。それに対し、お釈迦様のお言葉は『私は、いつも種を蒔いています。耕しています。』農夫は、「種も持っていないし、鍬(くわ)も持っていない。農地もないのに、どこを耕してどのように種を蒔いているのですか?」と尋ねました。『私は、あなたの心も耕しているし、私の心も耕している。あなたの心の中に種を蒔いているし、私の心の中にも種を蒔いています。もちろん私の目の前に来る人、来ない人にも種を蒔いています。皆を耕して種を蒔いています。』とおっしゃいました。するとその農夫は大変驚き、申し訳ないことをした。この方の説法を聞きながら私達は生きているのだ、ということに気付いたのです。しかし残念ながら今の世の中そんな事に気付く人は少ないのです。

 

 お釈迦様は『皆に平等に種を蒔いて歩いているが、いくら同じ種を植えても自分で耕して柔らかい土地にしないと芽は出ません。心に柔軟性がなければ実りも無い。頑固な人は他人の話を聞かず、自分は正しいと思い込み、考えを改めようとしない。耕す鍬の役目は説法であり、真の知恵である。』と説かれました。種は信仰心を表わしています。そこには必ず雑草が生えてきます。雑草も生えない心の中では芽も出ません。雑草はもちろん煩悩を表わします。お釈迦様は『煩悩がどんどん生まれてくるのは、人間として当たり前だ。その煩悩を自分の手で抜いて、雑草を肥料に変えよ。』雑草を肥料に変える方法は?『煩悩である雑草を抜き、それをしっかり観察せよ、どの様な種類なのか?観察しないで処分すると、同じ種類の草が生えた時に、対処の方法がわからない。何故自分にはこの様な煩悩が生まれてくるのか?その繰り返しが必ず心の肥料になる。何度も繰り返し明らかにして捨てる。怒りの心には広い心を持ち、許す心を持つ事。許す心がなければ煩悩は次々に生え、硬い土地になり良い芽も出ず、悪いものばかりが生え広がり、やがてイバラの地となる。』托鉢の食事を頂く僧侶の感謝の心は説法です。

合掌