心配事

 今迄に何度かお話ししている事ですが、悩んでいる信者様のお話を聞いていると、どうも理解されていない方が多いので、もう一度お話し致します。あの世で成仏するには朝晩供養して50年かかるとお話ししていますが、例えば主人が先に亡くなった場合、残された家族は誰も信仰心がなく、妻である自分はもう50才を過ぎている時、それから50年も先祖や主人を供養することは不可能です。あれこれ考えると、不安と心配で寝られないとおっしゃる方が多い。あの世に帰る迄の準備として、自分を含め御先祖様の永代供養を事前に申し込む方法があります。お大師様が説かれたのは『自分自身でも、あの世で修行をする事になるが、自分の死後正しく供養をしてもらう事で始めて修行の場が持てる。一番確実なのは自分が生きている時に、正しく信仰し自分自身が精神的に成仏に近い状態、すぐ修行の場に行ける様な状態で、あの世に帰る事が大切』とおっしゃいました。一番良い方法は子孫に信仰心を与え、自分自身は正しく信仰し出来る限りの努力をすることです。もし子孫がいない場合は、自分自身で永代供養を申し込む事です。

 親は子供に正しい信仰を伝える。これは子供の為でもあり、自分自身の為でもあります。あの世へ帰った時に供養をしてもらえないと困るからです。うちの子供は信仰心がありませんと、のんきな事を言っていると自分自身の苦しみとなって返ってきます。しかし、子孫も無く後々に先祖を見てくれる人も居ない方は今が大事です。日々しっかりと信仰し、尚一層功徳を積んで自分で成仏に近付く努力をする事です。死んだらほっといて下さい、とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これは大きな間違いです。

 極楽往生の「往生」は俗語で「往生しました」と言います。この言葉は良い意味では使われません。使い物にならない、困り果てたという意味です。往生しました、というのは、死んでしまった人の事を往生すると勘違いして使った言葉です。亡くなってもすぐに往生はしません。この様に間違った仏教用語が氾濫しています。財産を残す為に大切な物まで我慢して残す人がいますが、これも間違いです、財産を残してやったのに何もしてくれない、とあの世から不満に思う人が大勢いらっしゃいます。自分のすべき大切な物事を、すべて終わった後に残ったのなら別ですが、それでなければ、あの世に帰っても執着心となり成仏できません。この世では食べられて、清潔なものを着て、そして雨露をしのげる家に住み、適度な遊びの中にもプラスのイメージを持ち、明日への糧にするのが良いでしょう。

 聖法院ではあの世に通じる大切な行事を行っています。6月の大般若と、11月の結縁灌頂を必ず受けて、あの世に帰ることが大事です。自分自身の永代供養も自分で申し込み出来ます。他人を当てにせず自分で出来る事を準備して安心して暮らして下さい。   合掌