心の教育

 学校教育はとても大事ですが、人間にとって一番大切なことは心の教育です。

現代の学校では心の問題はあまり教えません。各家庭や地域社会の大人がしっかりと教えるべきですが、その大人の心が安定していないので、子供達の精神を正しく保たせ、育てる事が少し困難になりつつあります。大人達は学校の成績が良い子供が人間的にも優れ、良い子供だと勘違いしています。子供たちも同様に考えている子供が多い様です。学校教育で100点でも人間が完璧とは言えません。逆に0点でも駄目人間だと馬鹿にする事も自分自身を卑下する必要もありません。もちろん学校教育としての知識も精神面も上手く両立して偏らないことが一番良いことですが、全てを学校に任せるのは間違いであり、無理があると思います。各人の長所を引き出し、精神面でも豊な心を養うお手伝いをするのが信仰です。

 ある調査結果では昭和55年以降に生まれた若者達の多くは、個人主義、利己主義が多くなっているそうです。ある会社の上司が部下数人を連れて食事に行きました。食事が終わり、少し離れた所で会計を済ませ席に戻った上司は唖然としたそうです。そこには既に部下は一人も残っておらず、外で待っているのかと思いましたが、外にも誰も居なかったのです。部下の人たちは食事が済んだので、もう自分には無関係だと思い、それぞれ解散したのでしょう。この様に昔は考えられない事が、今や普通だと思っている人たちが多いのです。数人居た中で一人でも上司に「ご馳走様」のお礼を言って帰ろうと注意する人も居ないのかと、がっかりしたそうです。こんな社員に営業や得意先廻りをさせると、今まで積み重ねて来た物事や信用が崩れ去るのではないかと大変危惧したそうです。もちろんそんな人ばかりではないとは思いますが、昔はそんな人はほとんど居ませんでした。

 それに上司が誘っても平気で断るから、大事な用事があるのかと思いきや、「早く帰ってゲームをしたい」が答えだったそうです。昔はこの後、用事があると思っても「喜んで御一緒します」と答えたものですし、その時に営業のノウハウを教えて貰ったりしたものです。それだけ人間的な情が薄れて来ているのかも知れません。先日、たかじんさんがおっしゃっていました。「他人と関わる事が人生や。自分のしたい事ばっかりしてたら、そのうちに偉い目に遭うと思うよ。」確かに一人で好きな事をしたいかも知れませんが、他人との無駄話も時として楽しい時間や有意義な時間に変わり、ストレス解消になる事も多いのです。

 御神仏が説かれるには『人々に与えるのは、人間が望んだ物だけでなく、それを遥かに越えたものを与えるのであり、決して自分の思い通りになるものではない。思い通りにならない人生の苦しみが、自分自身を向上させる。人生修行に来ているのであり、思い通りの言動は、ある意味で修行放棄とみなされる』とおっしゃいました。この世は一人で生きては行けないし、生きているのではない事を常に考えて行動した方が、長い人生を考えた時、それが楽しい人生になります。人間関係をおざなりにして、一人でゲームばかりしている若者が成人した時、自分の子供に豊な精神を教え、委ねる事は難しいでしょう。自分を見つめる材料にもなります。一人遊びから得られる物事は少ないばかりでなく、他人と議論も出来ない一人合点な人間が出来易いそうです。他人との関わり合いが苦手な若者達が、少しでも他人とのかかわりを増やしていくことをお勧めします。 合掌