人間の旬

 二十年くらい前にお不動様から旬のお話を頂きました。世の中には色々な物があって、それぞれに旬と言うものがありますが、「人間の旬はいつだと思うか?」とお不動様に尋ねられた事があります。私は「人間には肉体的な旬と精神的な旬があると思います」とお答えしたのですが、お不動様は「肉体的な旬とは、十代二十代は元気だが、まだ完成されていない。三十代から四十五才位迄が肉体の旬で、心の旬は死を迎えてあの世へ帰っても、旬で無い人間が非常に多い。
 毎年今までの自分の人生の中で、今年が一番良い旬だと言える自分を作りなさい。一番良い旬を作るには自分を見つめる時が必要です。そして悪い所を取り去って、良いと思う所だけを残して、それを延ばして行きなさい。悪い所を取り去るのはいつでも出来る事ではないので、日を決めた方が良いだろう」とおっしゃいました。

 お身拭いや大掃除をさせて頂いた後、自分を見つめて悪い所を取り去り、毎年品質改良をして行けば良いのではないかと思います。今年よりも来年、来年より再来年、更に人間的に品質改良された自分の旬に向けて、新年を迎える事が大事です。
 良い物を残そうと思うと肥料が必要です。人間にとっての肥料とは苦の種です。例えば魚は、何の敵も無くのんびりと育った養殖物よりも、大海の荒波に揉まれて、敵もいる中で育った天然物の方が美味しいのです。果物や野菜もビニールハウスで綺麗に育てられた物よりも、太陽や雨にあたって自然に熟れる時期を待った方が美味しいです。
 全ての物は、ある程度苦しい目に遭わなければ、品質改良されない様に人間も苦の種がある方が早く旬に近づきます。

 ある方のお話で「息子夫婦が転勤になり同居する事になったのですが、うちの孫がとんでもない事になっていました。孫がある日、裸足で外へ出て行ったかと思ったら、そのままドロドロの足で家の中に入って来ました。おじいちゃんが「ちょっと待て、家へ入る時は足を綺麗に拭かないと駄目でしょ」と注意すると孫は泣きじゃくって怒り、またそのまま外へ出て行ってしまったのです」五才位の子なので、普通はそれが悪い事だと判断出来るはずです。
 それをお嫁さんが見ていて、「お父さん、放っておいて下さい。この子の思うようにさせて下さい」と言ったそうです。叱り教える人が少ないと、しつけが難しいこともあります。犯罪を犯した青少年の家庭の殆どが、何が正しいかを教えて貰えていない人が多いそうです。お父さんはお嫁さんに、「そんな事では駄目じゃないか」と怒ったそうですが、その夜にその子がノートを開いて字を書いているのを見ると、横書きなのに、右側から文字を書いていました。正しく左から書いてある印刷物を見せて、「これは違うよ。皆、左から書いているでしょ」と教えると「これでいいの」と泣きわめいて聞きません。その子は他にも色々な事がきちんと出来ない状態です。しかし、その子に注意をすると泣きわめいて手が付けられなくなり、お嫁さんは他の用事が出来なくなって困るので、今迄、その子の言いなりになっていたのです。

 お不動様は、『一番大切な子育てで、親が子供の言いなりになっていたのでは、その子供が大人になった時、社会に通じない人間になり、本人もその親も大変苦労するだろう。従って子供のうちに適切なアドバイスをしながら育てて行くべきだ』と説かれました。お爺さんと、お婆さんは「今は戦争の様な毎日です。これを来年迄に、正しく教えてやりたいと思っています」とおっしゃっていました。
 苦の種を正しく使いながら、人間性を養って行かなければ、一生良い旬は来ないかもしれません。人間は思いどおりになる事が人生ではない、と言う事を教えなければなりません。『苦の種を上手に使いながら、人間を養い育てて、毎年自分のいい旬を作り、死ぬ時には「これが最高の自分の旬です。」と言える様な気持ちであの世へ帰って来なさい』とお不動様は説かれました。

合掌