あなたは御神仏から受け入れられていますか?

 全然信仰心がない方は、お寺や神社へ行っても合掌はもちろん頭も下げる事が出来ないそうです。知人や友人に出会ったら、「こんにちは」と頭が下げられるのに御神仏の前に行くと素直に合掌も出来ないし頭も下げられない。人間にしているのと同じ様に頭を下げる事も軽々しくて罰が当たりそうで抵抗がある。そうかと言って合掌などとんでもない。それは自分が嘘をついている気になるのだそうです。信仰もしていないのにもっともらしく手を合わせている自分が恥ずかしい。
ある時、仏教関係の大学教授の話を聞く機会があって、その先生が自分は職業として仏教を教えているが信仰心の深いところが何も分からない。けれども左手が自分で右手が仏の手だと感じ、握手なら出来ると思ったら合掌出来たと話しておられました。自分の家の仏壇でさえも金を鳴らすだけで終わっていたが、今は本尊様や先祖様に握手のつもりで手を合わせる様になったそうです。 
世界の人々がそれぞれに信仰を持っているのに、日本人だけが信仰心が薄いのは何故かと考えると、今から約140数年前に明治維新があり日本では急に教学が盛んになり人間にとって勉強が一番大事となって以来、日本中のインテリ層に神仏にすがるのは馬鹿げていると言う考えが広まって、無神論者がインテリの印とされて今に至ったのです。現代その結果が人間を悪い方向へと向かわしているのです。今は真のインテリと呼ばれる人達は自分なりの信仰心を持っている方が多くなっています。
信仰をしていない人は誰かあの世へ行って帰ってきた者が居るのか?と言います。それでは何故あの世がない方だけを信じるのか?と御神仏はそれが愚かだとおっしゃいます。あるかないかどちらか分からないと言うのが本当でしょう。あの世がある方を信じる事によって、色々な努力をしなければなりません。ただそこから逃げているだけなのです。信仰する人は人間的に弱いからだ、自分は誰にも頼らなくても自分の人生を切り開く事が出来る。だから信仰しなくても困らないと言うのです。お不動様がおっしゃったのは、「人間はここが間違っている。それは人間が自分で信仰を選び、神仏を選んでいると思っているから、そんな事が平気で言えるのだ」手を合わせなくても良いのではなく、御神仏がその人と手を合わせないのです。心が素直で信じる人にしか手を差し出してくれないのです。合掌は簡単そうで難しい。この合掌を違和感なく心から出来る人は御神仏から受け入れられていると思って間違いありません。選んでいるのは人間の方ではなく御神仏です。
従って合掌できるだけで充分感謝に価します。毎日御神仏に受け入れられる人間になりましょう。もし毎日手を合わせられないとしたら、その日は御神仏から受け入れられなかった事になります。毎日何時でも受け入れられる自分でいたいものです。 合掌