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2011年下半期法話
残された時間
今年も残りひと月足らずとなりました。小さな事で悩んだり喜んだりしながら、一年一年過ぎて行きますが私も平均寿命で残りの日数を計算すると約5,900日となりました。一日5時間寝るとしたら1,230日寝ていますので4,670日しか残っていません。病気をしたらもっと寝る事になります。一日中何もせず無駄な時間を過ごすと、この世で人の為に役に立ち、かつ自分の修行になる功徳を積む時間が余り無いと思うと、つまらない事で時間を費やしたくないと年々思います。小さな事で悩んだり、こだわりを持ったりせずに仕事を含めて毎日楽しく過ごしたいと考えています。今、一年間に一万人ずつ増えて、三人に一人はガンで亡くなる時代です。風邪引きと同じ位ありふれています。心臓病、脳卒中が残り二人の死亡原因です。一般的に皆様は一番ガンを恐れます。しかし考えようによっては、ある日突然心筋梗塞で言いたい事も言えずに人生の最期を迎える人や脳卒中で助かるけれども半身不随になるかもしれないと考えるとガンもそんなに悪くはありません。神様にどの様な最期を望むか?と尋ねられた事があります。すっと苦しまずにあの世に帰りたいと答えました。この答えはある意味、ご神仏にはお気に召さない死に方です。あの死に方も嫌、これも嫌で、交通事故も残っているけれど、どれか選べと言われたら迷いますね。
今はガンの痛みは95%取れるそうです。ガンと言う音の響きが悪いので、例えば、あの人は「ポコ」で亡くなったと言うと余り怖さがない様な気もします。ガン患者は自分に時間がないと言う思いがあるので、嫌な事は嫌とはっきり言う事にしたとおっしゃっている方がいました。残された時間を大切に無駄なく使いたいと思うからでしょう。大事なことはここです。すっとあの世に行くと最期の締めをせずに終わる場合が多くなります。何時お迎えが来ても慌てない人生を送る心掛けが大切です。
プレゼントと言う言葉がありますが、贈り物の意味の他に今現在と言う意味があります。ご神仏が全ての人々に、今現在、生きている時間を下さっていると解釈しています。年の瀬に自分の時間は限られていると言う事を再認識して今を精一杯無駄なく生きなさいとおっしゃるご神仏からのお言葉です。今生きるのに精一杯と言うゆとりのない意味とは違います。他人と自分を比べたり、他人を批判したりする時間を自分の大切な時間に置き換えて、有効な時間の使い方をしましょう。もちろんその中に自分の楽しみを入れてもかまいません。その事が精神的な肥料になり魂が喜び、それをきっかけとして他人に優しく出来るなら、それも大切な事となります。今日からお互いに人生の大切な時間を意識して使いましょう。 合掌
和合は信仰の基本、幸せの根源
「水は法縁の器に従うが如し」と言います。水はどんな器にもすんなり入ります。しかし水が一度氷になると、固形になるので同じ形かそれ以上の大きさの器にしか入りません。私達人間の「我」も「氷」と似ています。氷が同じ形の器にしか入らない様に同じ性格の人としか仲良く出来ない人や自分のわがままをすべて受け止めてくれる心の広い人としか人間関係が上手くいかない人に似ています。人間関係ではどちらも氷の性格を持っていると、氷と氷がぶつかり合う様に上手く行きません。どちらかが水であればサラッと流れてくれます。もちろん双方が水であればもっとスムースに流れます。しかしどちらも氷であった場合、自分の我が強くてお互いが自己主張をしていると、それがぶつかり合い氷と氷がどちらも傷つきます。これが人間模様を表しています。ぶつかり合った時、必ず思うことは相手が悪くて自分は悪くない。相手の氷は見る事が出来ますが、自分が氷だと自覚はしていません。しかし自分が水ならば絶対にぶつかり合う事はなくサラッと流せます。ぶつかったら自分も氷だったのだと再認識するべきです。大切な事は自分が氷だった事に気付かせてくれた相手に感謝することです。それがお大師様がおっしゃる「私達人間も他の生き物も全て仏様ですよ」の意味です。表面の氷で本来の水が現れないだけなのです。
御神仏の大慈悲を受ける事によって、その氷が溶けて水になれば元の仏心が表れます。元々は氷も水も同じものですが、ただ我欲の塊で変形しただけです。「信仰が必要なことは知っていますが、時間がありません」とよく聞きます。しかし努力をせずに前へは進めません。水の一滴はポツンポツンと同じ所へ落ちると、時には大きな力となり岩をも貫通します。自分達が批判しているあの人もこの人も皆仏様の心を持っていることにお互いに気付きあって表面だけではない和合を保ちましょう。
信仰を同じくしている人達はもちろんの事、家族や会社での人間関係、全員が前世からのつながりがある大切な人達です。他人の話を聞いて間違いと分かっていてもその時争うのが面倒なので、つい同意してしまいますが、それも同罪でありその事が後々大問題に発展する事もあります。本当の勇気を持って意見を述べましょう。相手に注意を促す時でも出来れば数人に聞いてもらう方が良いでしょう。決して怒ってはいけません。御神仏には特に和合の上でしっかりと見守って頂いているのです。聖徳太子の十七条憲法にも「和を持って尊しとなす」が初条に書かれています。真の幸せは和合の上にのみ成り立つのです。小さな心のかげりもなくすために努力し、心底幸せな気持ちで過ごしましょう。 合掌
ストレス解消
最近ストレスで眠れない、とか対人恐怖症で人に会いたくない人が多いそうです。病院で診てもらっても、どこも悪くないのに身体はすっきりしない人が多く、そんな人の大部分はストレスがたまっています。ストレスに弱いのか、ストレスの発散が上手く出来ないのか?不思議にストレスにやられる人は、文明や文化が進んで物質が豊富な国ほど多いようです。アフリカの奥地やインドの僻地では、ストレスをストレスとして知って感じている人は、ほとんどいません。ではストレスにどの様に対処すれば良いのでしょうか?
お釈迦様が功徳の一番初めに上げられている布施の行為に無財の七施があります。目に見える金品がなくても、人に喜んで貰える施しが出来ます。その中の1つが、にこやかな笑顔、優しい微笑みを投げかける和顔施です。その他、いたわりの言葉を掛けてあげる愛語施など、笑顔で優しい言葉を掛けてあげ、その人の話をゆったりとした気持ちで聞いてあげる。その人に会うとホットする様な人、こんな人を知人や友人に持つとストレスが発散出来ます。そのお返しに自分も誰かの為に施して上げる事です。話を聞いて貰える事により、ストレス解消にもなるし、逆に他人の話を聞くとストレスに対しての免疫が出来て強くなります。何故免役が出来るのかと言えば、他人の愚痴や不満を聞く事によって、自分だけが苦しいのではないと解るからです。自分だけが悩んでいるのではないと自覚する事が自分を助ける事にもなるのです。生きて行く以上、多少のストレスはつきものです。カナダのある大学教授がストレスは人生のスパイスだとおっしゃっています。カレーライスに例えると辛くないカレーはおいしくないし、激辛も度を過ぎると食べられないのと同じです。ある程度のストレスはあった方が、自分の人生にスパイス的な役目をします。
魚へんに弱いと書いて「いわし」ですが、この弱い鰯をどうすれば、生簀(いけす)で少しでも長く生かせるかと言うと、鰯の天敵である鯖を一匹水槽に入れておくだけで、逃げ回って生きている時間が長くなるそうです。人間も余りゆったりした時間ばかりではボケやすくなります。自分にとっての鯖が自分の周りにいた方が、健康も維持できるし長生き出来るのです。
皆様も良く御存知の名古屋の金さん銀さんは、数えの108歳で亡くなられたのですが、2人が90歳台の時は、あんなに元気ではなかったそうです。100歳の時にNHKに出てから急に変わったそうです。元気な双子で背筋も伸びて化粧もして、デビューしてからどんどん若返り、ダスキンのコマーシャルに出て出演料300万円頂いて、200万を福祉団体に寄付して、残りは何に使いますかという質問に対して、「老後の為に貯金する」と答えたそうです。人前に出る事によって適度なストレスで緊張する事は、心身への刺激となり良いことです。皆さんも毎日ストレスを感じない気楽な生活を送ってボケたり、病気になったりしない様に自分の周りの鯖を一匹残らず退治するのは止めましょう。むしろストレスに負けずに上手く付き合うと、適度なストレスが自分にとって力になります。合掌
身代わり
滋賀県大津市の三井寺に智興「ちこう」と言う皆から大変尊敬され、慕われた僧侶が居られました。その方が御高齢になられて病気になり危篤になられた時、弟子の晴明「せいめい」と言う祈祷師が他の弟子達を集めて言いました。「色々な祈祷をしてきたが、大僧正様もこれまでだ。しかし、たった一つだけ大僧正様の息災延命を願える方法がある。それはこの中に「自分の命と引き換えに大僧正様を助けて下さい」と言う御奇特な方が現れれば、大僧正様のお命は助かるでしょう。その祈祷は私にお任せください」と言いました。皆、下をむいてしまいましたが、その中で性空「しょうくう」と言う一番若い弟子が、「私で良ければ身代りにさせて下さい」と申し出ました。そして性空は、「その前に一つだけお願いがあります。私は一人っ子で、母は80歳を超えています。その母に、私は勝手に自殺するのでは無い。大僧正様の身代りとなって、あの世へ行くのだと良く言い聞かせなければいけません。母が家で待っておりますので、少しだけ時間を下さい」と言いました。
性空は家に帰り、「私の命と引き換えに大僧正様をお助けしたいと思います。そうすれば、たくさんの功徳を頂けるでしょう。私がこのまま修行をしたとしても大僧正様の様にはなれないと思います。ただ年を取りお母さんが死ぬのを見送り、供養をしただけで私が人間として生まれた価値があるのでしょうか?それならば今、身代りとなった方が三世(現在、過去、未来)の諸菩薩に功徳を授かる事になり、その功徳をあの世からお母さんに回向したいのです。その後、お母さんがあの世へ来た時に必ず良い所へ導く事が出来るでしょう」と母に言いました。すると母は、「私は愚かな者で、それが功徳であるかどうかは解りません。貴方を育てるのがとても楽しみで、天地にも及ばない程の宝物だと思っているのに、私を置いて、若い貴方が身代りになって死ぬと言う事が、はたして正しいかどうか私には解りませんが、修行している貴方が言うのだから信じます。それが功徳なのでしょう」と言いました。
それを聞いて、性空はお寺に帰り晴明に御祈祷をお願いしました。その日の夜中に性空が休んでいると、段々と祈祷が効いて苦しくなって来ました。性空がいつも拝んでいる掛け軸のお不動様に、「私は未だ若くて、この世で充分な事をしていないので、あの世に行く事が恐いのです。どうかお願いです。地獄にだけは落とさないで下さい」と一生懸命に拝みました。そして息が絶えるかと言う時に、お不動様の声が響き渡りました「汝は師の代わりをし、我は汝に代わらん」とおっしゃり、お不動様が性空の身代りになられたのです。そして、性空と大僧正様は元気を取り戻す事が出来ました。彼の勇気と信じる心が、お不動様の心を動かし、奇跡が生れたのです。
私が生駒の聖天様に良くお参りしていた頃、ある男性が聖天堂の前で一生懸命に拝んでいました。「何を拝んでいるのですか?」と尋ねると「弟が癌で急に倒れて、私を身代りに弟を助けて下さいとお願いしているのです」とおっしゃいました。私は「偉い人だなぁ。でも身代りなんて出来るのかな?」と思っていました。しばらく経って、またお参りに行った時、今度は女の人が泣きながら拝んでいました。「どうしたのですか?」と聞くと、身代りを祈願していた夫が亡くなって、その弟は助かったそうです。その男性は性空と同じ事をしたのに、命を取られてしまったのは何故だと思いますか?聖天様にお尋ねすると、その兄の心の中には、弟を助けて貰っても、自分も助けてくれるだろうという、いい加減な気持ちがあったそうです。御神仏にお約束すると言う事は、心の底から約束しなければいけません。人間は自分の都合の良い様に考えを変える所があります。御神仏は私達が口に出さなくても心の中をお見通しです。御神仏が延命される時は、「この者は延命して社会の役に立てるのか?このままあの世へ帰った方が良いか?」と色々な事を考慮されます。例え可愛い我が子であったとしても、一生懸命純粋に信仰していれば、御神仏は必ず見ておられますので、全てをお任せして自分勝手に安易な考えをしない事が大事です。合掌
六道の世界
8月は地獄の釜の蓋が開くと言われているお盆月です。あの世では六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間界、天界)の世界がありますが、今皆さんが居られる人間界と六道の世界の人間界は同じランクだと思いますか?私もこの道に入った時はあの世の人間界まで修行出来た人達だけが、この世に生を受ける事が出来ると思っていました。人を妬んだり、人と争い事をする人は、あの世へ行くと必ず阿修羅の世界で絶えず争い事をする事になります。畜生道は何でも欲しがり、我欲を求める人や、他人の持っている物を欲しがり、それが手に入ると大事にせず、すぐに他の物を欲しがります。「私もそんな性格の所があるわ」と思う方は今この瞬間から、過去の過ちを深く懺悔して今後の行いを正していくと、まだ充分間に合います。餓鬼道は常に食べ物を欲しがり満たされる事がありません。ここへ行く人はこの世で食べ物の有難みに感謝もせず、食べ物を無駄に腐らせて捨てる人です。六道の人間界で修行が足りた人だけが、この世に人間として生まれて来るのではなく、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、それぞれの世界からこの世に生まれて来るのです。従って綺麗な魂ばかりが生まれて来る訳ではありません。その証拠に子供でも残忍な心を持っている子がいます。六道の人間界に登り詰めてこの世に生まれてきた魂はレベルの高い魂です。その上等な魂を持つには、この世での時間をどの様に使うかが問われます。しっかりと信仰し、心を正しく修正しながら社会にも貢献し、人間関係をも良くする事です。あの世とこの世は表裏一体なので、皆さんの毎日の行為が鏡に映る様にあの世に通じて、あの世に帰る時には肉体と分離した魂だけが残りますから、魂を磨きあげる事がこの世で一番大切な事です。従ってこの世で一番大切なのはお金ではありません。お金はこの世の余禄で、食べる為と色々な方面で頑張った人達に、少しだけ楽しみを持たせてくれる為の道具に過ぎません。一番大切な財産を残す事とは、子孫に魂のレベルアップの為の正しい信仰を伝える事です。子供のいない人達は一人でも多くの方々を正しい信仰に導く事です。お金が無いから、学歴が無いからと言って嘆く事も自分を卑下する事もありません。一番嘆くべきは、あの世から元々授かっている仏心を持っていながら、それを充分に活かさない人です。それが人間として一番愚かで精神的に貧乏な人です。 合掌
真の信仰
いつも説法を熱心に聞き信仰歴の長い方が、他人が悩んでいるのを見て「御神仏が見ておられるのだからお任せですよ。全てお任せしたら気持ちが楽だよ」と言っていた人が病気になり、クヨクヨと悩む様になりました。「御神仏にお任せの考えはどこへ行ったの?」と思います。ここでハッキリ解かったのは、この方は信仰しているつもりでも、御神仏から見られると本当の信仰が出来ていなかったのです。信仰について間違った考えをしていたのです。それは信仰していたら病気にならない、貧乏しない、交通事故にも遭わない、全て思い通りに上手くいくと思っていたのです。本来の信仰とは自分を見つめる機会を与えて下さる。それと今世で自分が受けなければならない修行は、どんなに嫌なことでも辛いことでも避けることは出来ません。信仰をしていると、ある程度人生の指針はお導きいただけます。しかし最終的には自分を見つめ、自分の本心に出会わなければならないのです。
驚いたのは御神仏が個々のことをしっかりと見ておられたことです。私は、この時迄この方が他で不満を言っていることを知りませんでした。もちろん私の前では大変信心深い方に見えていたのです。ある日、お加持をして御神水に入れる薬を頂こうとした時、お大師様が、「この者は残念ながら信仰の基本を忘れている」とおっしゃったのです。こんなに熱心な人が?と思いながらもう一度お薬を頂こうとしても、頂けないので不思議に思い「お医者さんにはどう言われました?」と聞くと、「病気は治ったと言われたけど、思うように動けないので不満を言うと、精神科に回されて薬をもらいました」と言うのです。昼も夜もその薬を飲んでいるのでボーッとして、更に動けなくなるのです。自分は先祖供養も長年してやったのに、今月から先祖供養もやめます。それは「取引」でしていた信仰だったのです。他人には「お任せですよ。どんなに辛い事があっても神様は見ておられますよ。自分の修行だと思って頑張らなければ~」と言っていたのに、お大師様は「病気や事故は、あの世からのメッセージであり、進級テスト問題集のようなものだ」とおっしゃいました。これらは自分の信仰度をチェックし見直す機会を頂いているのです。その答えによって進級するか、落第点をとるかが決定します。自分ではしっかりと信仰していたつもりが、いざ自分に災難がふりかかった時、如何に落ち着いて対処出来るか?他人事でなく常に自分の身に起きると想定して、正しい信仰をしなければなりません。この様に信仰とは全てを助けて頂くものではなく、自分自身が御神仏に助けて頂ける人間か否かを問い掛ける場所でもあり、そのスタートラインに立てたか否かを確かめる所でもあるのです。御神仏との取引的な信仰はやめて、信仰に対する考えを正しく改めましょう。 合掌
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