|
布施のあり方 |
|
先日、電車で天王寺に行く時の事です。通勤時間でしたので相当混雑していました。その時、男子学生が席を立ちおじいさんに席を譲ろうとしたのです。今時、感心な子だなと思って見ていると、譲られた男性は何も言わずに手を横に振ったのです。学生さんは少し困った顔をしていましたが、もう一度笑顔で「どうぞ」と声を掛けました。するとその男性はニコリともせずに、むしろほっといてくれと言わんばかりな態度で「次の駅だからいい」と言ったのです。その学生は元の席には座らず、照れ臭そうにして前に進んで行きました。恐らくその場を離れたかったのでしょう。乗客の人達はその場面をなんとなく見ていました。もちろん私も一部始終を見ていました。その時突然、御神仏に話しかけられたのです。『今の光景を見てどの様に感じるか?』私は突然の事なので驚きましたが、心の中で答えました「あの学生さんが少し気の毒な感じがしたのと可哀相に思えました。この場面を見ていた人はおそらく皆さん良い気持ちはしなかったと思います。後味の悪い光景でした」すると御神仏は『席を譲るのは布施の行為であるが、この場合、それを受ける立場の人間の心掛けが間違っている。大勢の人の中で席を譲る行為は勇気がいる。ここに座っている若者の多くは席を譲りたいと感じているが、それを行動に移すには真心と勇気が要る。ほとんどの人は良い事だと解っていても眠ったふりをして、その時間をやり過ごす。おそらく今日の事であの若者は当分の間、親切心を出すのに臆病になるであろう。布施行為の三要素は施者、受者、施物が全て清浄でなければ成立しない。施す者がいくら純粋な心であっても、その布施を受ける者が自分勝手なこだわりを持っていると布施物を受け取れない。ほとんどの場合、受け取る側が素直に喜んで布施を受ければ成立する場合が多い』とおっしゃいました。
|