ピクニック(2017年6月)

 今年のゴールデンウイークは割合お天気も良く、あちらこちらの行楽地が賑わっていた様子です。お弁当を持って孫のお供をしました、と楽しくお話をされて居られた方も多く見受けられました。
 聖天様はいつも上手に例え話をされるのですが、ある日、大勢の方がお参りされている様子を見られて、『まるでピクニックみたいで楽しいな。』とおっしゃいました。「何だろう?」と思ってじっと見ていると、皆さん一人一人の顔がおにぎりや卵焼き、お菓子やジュースに見えたりするのです。聖天様は皆さんをこの様に例えて、『どれをとってもピクニックには欠かせない物だろう。』とおっしゃいました。この様に大勢の方々がお参りされるのは、聖法院にとっても大変嬉しい事ですし、信者様側にも喜んで頂きたく、両者が相まって一体となり、初めて相互の功徳に繋がります。聖天様は『どの食べ物が欠けても楽しい事が半減する。増えるのは良いが、減らさない様に努力せよ。』とおっしゃいました。
 次いで『信仰は、例えると乗馬の様なものだ。馬が煩悩でその上に信者がまたがっている。騎手がしっかりしていないと馬は暴れて何処へ行くか分からない。最初は暴れていた馬が、正しく信仰をして騎手の想いがしっかりしてくると、次第に騎手の思い通りに進む様になる。少しでも早く自分の思うままに乗りこなせる様に努力しないと、暴れ馬になって自分の身も危険に通じる。』とおっしゃいました。馬は、乗り手の心が反映されるといいます。皆さんも自分の馬が素直な良馬になる様に、一生懸命調教して乗って頂きたいと思います。それには調教する自分自身がしっかりとしなければなりません。
 しっかりするには、まず何をするべきか?あの世の存在を認める事。よくあの世の存在に関してお話をすると、あの世に行って帰って来た者が居ないから、あの世があるか、ないかなど分からないと答える方が多い。分からないのであれば、存在すると考えた方が無かった時は何も問題なく、あれば用意が出来ているので焦らずに済む。それに、どう考えても私達よりもお釈迦様の方が優れた能力を持っておられます。そのお釈迦様が魂の向上を説かれておられるのですから、素直にあの世の存在を認める所からスタートした方が、時間や能力を無駄にする事なく早く幸せへと進める事が出来ます。
 あの世の存在を認め、この世の全ての事柄は消えて無くなると言う道理、「無常」を自覚する事が肝心です。自分が求めている物事の全ては夢の様な存在であり、自分自身にとって価値がある物ではなく、霧散する物である事を理解し、それらに固執しない事です。
 『自分の肉体でさえも私にあらず。その証拠に生きようと思えども生きられず、死のうと思えども自由にならず。』自由にならないのは肉体が如来様からの借り物、預かり物だからです。借り物には、返す時にお礼が必要な様に肉体をお返しする時は、それに付随する魂の向上をつけてお返しすることが積極的な無常観の考えに至ります。これらを考えると無駄な時間を過ごす事が、如何に愚かな事かが判ります。世の中の移り変わりが激しいことを表した「世の中は三日見ぬ間の桜かな」という江戸時代の俳句を思い出します。しかし人間は怠け者になる時もありますが、この事を知り戒めにする事が、それ以上の怠け癖を阻止する力となるでしょう。

合掌