お釈迦様のお話(2017年4月)

今年もご神仏のご加護と皆様のご協力によって、無事に春季大祭を迎える事が出来ました事を、心から感謝致します。4月はお釈迦様の生誕月ですので、お釈迦様に以前お聞きしたお話を致します。 お釈迦様が池のほとりの同じ場所に立たれて、毎日池の鯉にえさを与えられました。一年位同じ事を続けられたある日、突然お釈迦様は全く違う場所へ立たれると、そこで鯉にえさを与えました。いつもの場所でえさがもらえると思い込んで群がっていた鯉は、遅れを取ってえさを貰い損ねてしまいました。毎日のえさの場所にこだわらないで、自由自在に泳いでいた鯉は場所が変わっても、さっと対応出来たのです。 『これは信仰の形を表している。人間はある程度信仰すると慣れてしまい、神仏から光を与えても当たり前になり、感謝の心もないばかりか「これだけ信仰しているのに、どうして願い通りにならないのか?」と神仏に平気で不平不満を言う様になる。いつもえさを当り前の様に貰っていた鯉は、「ここにいたら必ずえさを貰えたのに」と自分は何も考えず、努力もせずして不満に思う。この鯉と同じである。信仰に慣れると、そこに魂の向上は見られない』とお釈迦様は説かれました。 御神仏はどの様な人間にお光を与えられるのか、を常に考えて努力をしなければいけません。自分の心は清浄であるか、御神仏に対して正しく礼拝しているか、様々な事柄を御神仏はちゃんと見ておられて、光を投げかけておられるのです。御神仏は最初に助けるきっかけをどんどん与えられますが、ある日突然光を与えなくなります。それは人々が信仰に慣れて、当たり前に思い感謝の気持ちが無くなるから、光を与えられる方向を変更なさるのです。私達に少しでも早くこの事に気付かせる為に光の方向を変えられるのです。 ご神仏の礼拝や先祖様への供養に慣れてしまうと、上の空でただ形だけそこに座る事になります。いつまでもある程度の緊張感で礼拝や供養をする事で、自ずからの心もついて行くものです。どうせ時間と身体を使うのならば、自分が祈る対象に向かい、しっかりと心からお経を唱える事が大切です。 何事も「心ここにあらず」では相手に通じません。信仰に慣れは禁物です。午後から行われる施食も身心ともにご先祖様にしっかりと向かいましょう。

合掌